日本の文化にある植樹

椎野潤ブログ(伊佐研究会第六回) 日本の文化にある植樹

 

令和7年春に予定されている第七十五回全国植樹祭の開催地が埼玉県秩父に決定しました。埼玉県での開催は66年ぶりとなり天皇皇后両陛下の「お手植え」などが予定されています。当社、伊佐ホームズ、森林パートナーズが軸足を置いている秩父の地で今上陛下がお手植えをなされることは誠によろこばしく誇りに感じるところであり、胸がはずむ思いであります。ところで秩父の山深く、奥秩父が東京湾に注ぐ荒川の源流です。秩父山中の三峯神社には献木の碑が多くありますが特に多く目立つのが築地市場からの寄進です。本殿の欄干も築地市場の関係者の名がずらりと並んでいます。改めて海と山は密接に繋がっていると気づかされ、特に先人はそのことを大事にし、共存の意識が強かったことが伺えます。現代人は理屈では分かっていても文化観として捉えられておらず、海と山を分断してきたように思われます。これは都市部での木材利用と山での木材生産についても同様で、流域は分断され、それぞれの文化的衰退を招いていると見受けられます。

今上陛下が皇太子時代に詠まれた「野」と題される御歌があります。

岩かげにしたたり落つる山の水大河となりて野を流れゆく(平成二十九年)

この御歌は水上交通を研究され、水問題に造詣が深い陛下が多摩川の様子をお詠みになったものであります。山の岩かげにしたたり落ちる一滴の水が集まって川となり、さらに集まって大河となって武蔵野の野を流れていくことよ、という意でしょう。わかり易いお言葉でありながら、山、森林と海のつながりによる豊かな国土、その恵みによって国民が豊かに過ごすことを大らかにご祈念くださっている大御心が偲ばれます。当社の木材サプライチェーンも小さな一歩を積み重ね、都市と山を結び、力を合わせて大きな流れにし、地域を豊かにしていきたいと励まされます。

さて全国植樹祭の歴史を振り返りますと、昭和25年に第一回が開催され国土緑化運動の中核的な行事として毎年春に開催されてきております。その前は「愛林日」という記念日があり、さらに前には「学校植栽日」が制定されていました。明治28年に、米国の「Arbor Day」という植樹日にならい、明治天皇誕生日の11月3日を「学校植栽日」として、全国の学校に学校林設置の訓令が出されました。当時の第一目的は不毛な山林を有効活用し、且つ学校基本財産を増築することにありましたが、同時に植樹を通して児童の規律性、自然への愛好心、延いては国を愛する心の涵養に効果があるとして導入されたとのことです。当時の帝国治山治水協会では「愛国愛郷愛林の思想を養うと共に、森林や自然に接し遠大な思想を体現せしめ、実践を通して、勤労や協力や心身の鍛錬を養うことなどが挙げられる。山に木を植えると共に、人の心の内に木を植えておくことがそれである。」とあります。約40年後の昭和13年に学校林総面積は50,365haに達し、この頃にピークを迎えました。時期は前後しますが明治31年に林学博士本多静六の提唱により神武天皇祭の4月3日が「植樹日」となり、昭和8年にその神武天皇祭を中心とする4月2日~4日までの3日間を「愛林日」として全国一斉に愛林行事を催すことが提唱され、以降学校植林と共に促進されます。その後大東亜戦争に敗れた我が国は、戦争資源確保や、戦後復興用材、薪炭供給のための過伐、乱伐により緑が失われましたが日本国民の緑化思想は失われておらず、昭和22年、「荒れた国土に緑の晴れ着を」という全国的な願いを実現するために「森林愛護連盟(現㈳国土緑化推進機構)」が結成され、当時の皇太子殿下(平成天皇、現上皇陛下)をお迎えしての植樹行事の開催をもって戦後国土緑化運動が開始されました。翌23年には昭和天皇皇后両陛下のご臨席のもと陛下御自ら率先してお手植えされ国民に範を示されました。このことは戦後復興への国民の働きを親しく励まそうと思い定めておられた昭和天皇の強い御意志であったと伝えられているとのことです。その後昭和25年に、森林愛護連盟は解消し国土緑化推進委員会が結成され全国植樹祭として今に至ります。当社が係わる団体「秩父フォレスト」に参加した小学生は、植樹活動を通して「ものづくりの根底が森林にはあると気づいた。植えた木々が育ったころにまた家族と秩父を訪れたい」との体験、感想を寄せてくれましたが、古今問わず植樹には心の涵養があると確信いたします。

天皇陛下による七十数回の植樹が継続されていることはもとより、「学校植栽日」を明治天皇誕生日、「植樹日」「愛林日」を初代天皇であられる神武天皇祭に合わせられることから、天皇をはじめとする皇室、即ち日本文化の根幹と植樹、山の関係はとても深いものに気づかされます。それは皇室の系統、日本の神話からも明らかで、神武天皇の祖父が有名な山幸彦(ヒコホホデミノミコト)、またその祖父がオオヤマツノカミであり、それぞれ山の神様です。また海の関係も深く、神武天皇の母がタマヨリヒメノミコトでその父がトヨタマヒコノミコト(ワタツミノカミ)であり海の神様です。さらに興味深いのは、スサノオノミコトはもともと海の神でありましたが後に木の神にもなられ、その息子のイソタケルノミコトは林業の神様、娘のオオヤツヒメノミコト、ツマツヒメノミコトはそれぞれ建築、材木の神様として崇められています。森と海は有機的に結びつきその中で醸成されたのが日本の文化であります。

戦後、植樹が再開された昭和22年、帝室林野局の廃止に関して昭和天皇がお詠みになった御製があります。

うつくしく森をたもちてわざはひの民に及ぶをさけよとぞおもふ

こりて世にいだしはずとも美しくたもて森をばむらのをさたち

一首目は「(帝室林野局が廃止になっても)美しく森林を保って、土砂崩れなどの災害などによって災いが国民に及ぶことがないようにしなさいよ」という願いであり、次のお歌は将来の豊かな森林を願はれたもので、「木を伐って木材として世間に出しても、それだけではなく美しい森を長く保ってもらひたい、村の長たちよ」という御意でありましょう。豊かな森への深き御心が仰がれるお歌であります。現代では、村の長だけでなく、「森」に係るすべての事業体、また消費者が力を合せて美しい森を守り続けなければなりません。すぐには日本の森林環境は良くはなりませんが、しかしそれぞれの地域、立場で知恵と技術を持ち寄って、一歩一歩進んで日本の森林を豊かにして行きたいと思います。

また伊佐ホームズで施工した長谷川町子記念館のご縁を活かし、サザエさんという海の家族が森林の大切さを伝えるために植樹に行くという企画で国民運動を起こし、美しい日本の国土をつくっていけないかと想像しております。

 

まとめ 「塾頭の一言」 本郷浩二

第75回全国植樹祭の秩父での開催決定、おめでとうございます。私も過去7回、全国植樹祭の現場に立ち会ってきました。天皇陛下がお手植えされ続けることは素晴らしいことだと思います。日本の中で、なぜか植樹はこの地に暮らす人々を惹きつけます。

我が国の国土の2/3を占める山の斜面は、農地や宅地に開発することも難しく、森林として維持されています。そもそも人口が多い島国で燃料、住宅や産業の資材として過剰に利用され、いわゆる禿山と化した山も多くありましたが、世界の四大文明、さらにはギリシャ、ローマのように緑を失ってこなかったのは、日本の気候、地形だけでなく人が紡いだ文化です。植樹祭をはじめとした戦後の国土緑化運動では、陛下のもと、林業者、地域住民、そして国民一般の方々が協力して木を植え育ててきたことにより、今は禿山といったところはほとんどなくなり緑に覆われています。

山の斜面ですから、森林があり続けるためには、森林自身が百年かけて1㎝の厚さにするという山の土を流さないようにすることが何より大切です。土を流さないことで、森林の木を利用し続けても森は生き続けるのです。雨の降り方、風の吹き方が変わろうが、知恵と工夫、試行錯誤もありましょうが技術の開発、科学や経験に基づく新しい発見などを通じて、山に健やかな森林を保ち続ける日本人でなければなりません。

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