森林組合の行方―林業サプライチェーンの実現に向けて「森林は誰のもの?」続き

□ 椎野潤ブログ(堀澤研究会第8回)  森林組合の行方―林業サプライチェーンの実現に向けて「森林は誰のもの?」続き

堀澤正彦

そろそろ原稿を書き始めようと思っていたとある日、森林利用のあり方を考えさせられる出来事が立て続けに起こりました。
まずは、午前中に事務所を訪れた青年のこと。ぼそぼそと話す坊主頭の彼と応対した同僚とのやりとりに聞き耳を立てると、森林組合に行けば森林資源の採取権が購入できると聞いたとのこと。ちょうど、慣行入会権を維持するために、国有林から買受けたネマガリダケの採取許可証を販売しており、それについて説明をするも反応は今ひとつ。よく言えば朴訥として誠実そうな彼だが、要領を得ない話しぶりでなかなかピントが合わない。
業を煮やした私は席を立ち「具体的に何が欲しいの」と強めに質すと「ツルです。アケビです。」困ったような表情で返答しながら携えていた籠を差し出して「これ、僕が作ったんです。まだ修行中ですが。」か細い声で話し出した。アケビヅルを探していると最初に言ってくれればよかったのに・・・と心の中で呟きながらさらに聞くと、松本に住んでおり山小屋で働いたりしているが、ゆくゆくはアケビ細工などのネイチャークラフトを生業にしたいので制作に勤しんでいる。しかし、住まいの周辺にはツル細工に適したミツバアケビがないので探しに来たが、他人の山で勝手に採るわけにいかない。聞きまわるうちにネマガリダケの採取権のことを耳にして、一縷の望みを賭けて訪ねてきたというのが事の真相でした。
未来ある若者が山の恵みを利用して生きて行こうという夢のある話、何か助けになれればと思ったものの、これからありかを探すのだから森林所有者との引き合わせもできないし、勝手に山に入って探していいと言うわけにもいかない。「役に立てなくてゴメンね」と詫びて引き取ってもらったのでした。
そして午後、懇意にしている建築資材屋の社長から着信があり、開口一番「堀さん、山採り苗のこと聞きたいんだけど」とのたまう。以前から耳にしていたが、都市部では新築住宅の庭に自然樹形の植木を植えるのがちょっとしたブームになっている。今回の電話は、クライアントの住宅メーカーに苗木の供給先を紹介したいというのが用件で、捕らぬ狸の皮算用めいた妄想が膨らみます。しかし、組合員さんに呼びかかけても苗の山採りをする人がいるとは思えない。組合の収益事業として展開するのでは、目ぼしいものを見つけてから所有者との交渉、根鉢を作り仮植をして在庫と結構な手間がかかる。どうしたものかと現実に戻り意気消沈です。
森林の身近な素材を利用したいというニーズは思いのほか多い。ところが、森林所有者の多くは利用どころか所有の意識も低く、逆転現象が起きているのが現実です。前々回のブログ大隅研究会の発表で、素材と向き合い山を活かすことを「素材の民主化」と表現されていましたが、まさにそのとおりだと思います。
意志にそぐわず所有されている森林を呪縛から解き放ち利用したい人とつなぐ、その必要性をあらためて感じた一日でした。

☆まとめ 「塾頭の一言」 酒井秀夫
山に資源はあるが、私有財産なので勝手に利用できない。森林所有者に対価を払って利用したいが、誰に接触すればよいのか。「素材の民主化」ができていないという話題です。
日本には森林法や自然公園法があります。無断採取が見つかって通報されれば逮捕されます。国有林野で販売用として国有財産である山菜を採取するには、所管する森林管理署に対して売払願を提出し、承諾を得た上で代金を納付する必要があります。そして、入林許可証が必要です。
フィンランドでは、「公共の権利」(Everyman’s Right)として、自然享受権があります。利用者の権利として、森林内の通行権や滞在権、土地の所有者に対価を支払わないで野生の果実やキノコ類を採取できる果実採取権があります。ベリー摘みやキノコ狩りは季節の楽しみであり、レクリエーションになっています。自然は野生であり、自然を楽しむ自由が認められています。ただし、この権利には責任が伴い、厳しい規則が適用されます。私有地を避け、狩猟や釣りは許可が必要です。木を伐り倒したり、勝手に焚火はできません。
デンマークでは、公有林の場合、市民は24時間、囲ってある場所を除きどこを歩いてもよく、高さ10m以上の広葉樹の小枝を刈ったり切ったりしてもよいことになっています。休日ともなれば、たき木採取が行われています。個人的利用のキノコ、こけ、小枝(クリスマスツリー用の枝は除く)、花、ハーブなどは採取してもよいことになっています。ただし、植物を掘り取ってはいけません。私有林の場合、朝7時から日没まで滞在することができ、道路や小道を歩いてもよいが、どの木のどの部分も切ってはいけません。公有林と同じものを採取してもよいが、道ばたに限るとされています。
これらの規則は古くからの慣習や歴史的背景があると思いますが、違反した場合、知らなかったでは済まないです。日本では日本の法律に不案内な外国人の立入りも増えていくことが予想されます。
「森林は誰のもの?」の問いにはいろいろな答えがあると思いますが、祖先からの預かりもので、未来の子孫のものだと思います。「素材の民主化」を実現しながら森林を引き渡していくには、節度ある利用が求められます。社会が変革していくさなかにあって、そのための啓蒙や、具体的利用や支援のあり方が問われている時期にきているといえます。

 

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