樹木の時間と人の都合

□ 椎野潤ブログ(金融研究会第23回) 樹木の時間と人の都合

文責:角花菊次郎

樹齢100年の木を伐り倒す時、心が痛むのはなぜでしょう。200年なら尚更恐れ多くて、神道的な儀式でも行わなければとてもチェーンソーの歯を樹皮に当てられません、といった気持になりませんか?その木が生きてきた途方もなく長い時間に比べれば、僅かなお金を得るために一瞬にして伐倒するのですから、誰しも、多少なりとも心に抱く感情なのではないかと思います。

わが国の林業が生産性の低さ、木材価格の低迷、働き手の減少や高齢化といった課題を抱える中で、関係各方面の方々は機械化による効率アップ、国産材利用の促進、再造林支援、労働環境の改善や福利厚生の充実といった真剣な努力を続けています。そして、樹木の育成・丸太の生産を行う林業が、さらに森林資源全体を活用する森林ビジネスが、自立的に稼ぐことができる産業に脱皮すれば、金融機関は必要資金を潤沢に提供し、投資家も森に資本を投下してくれるような持続的な森林経営が実現することでしょう。もちろん、まずはお金が必要で、手元資金があってはじめて林産業の自立化が実現するという面もあろうかとは思いますが。

いずれにせよ、現状はというと、残念ながら諸課題の克服が見通せるような状況には至っていないようです。樹木を経済的な資源として利用する場合の最も大きな障壁は、樹木が刻む時間と人が刻む時間のスケールがあまりにも違いすぎる点にあります。樹木は数百年単位の寿命。人は100年に満たない。いや、人の寿命とのギャップではなく、経済的資源として樹木を利用したいのですから、人は1年の期間損益で考えたいのです。しかし、樹木の時間を無視して人の都合で物事を進めようとしてもうまくいくはずがありません。

樹木は根に微生物を宿して周辺の樹木と菌根菌ネットワークを形成し、動植物と共生関係を築きながらゆっくりとした時を刻んでいます。ダイナミックな生態系を構成している樹木を独立した物体として扱い、品種改良をして樹木の体内時計を早めたり、伐倒して同じ樹齢ばかりの森にしてみたりすれば、その土地でバランスしていた生態系の時の流れが崩れます。皆伐すれば餌場となる明るい草原が生まれ、本来は一定数で推移するはずの鹿さんが増える原因のひとつになります。そして、せっかく植林した苗木も鹿さんに食べられてしまい、元のような森に戻すことが難しくなります。単一同齢樹の森は風に弱く風倒木が目立ちます。せっかちな人の時間で森をいじくり回せば、負のスパイラルに陥りかねないことを私たちはしっかりと認識することが大切だと思うのです。私たちは樹木やその育つ環境が刻む時間を意識し、そこからすべての取り組みを発想・構築していかなければなりません。

そうは言ってみても、人は都合よく樹木を資源として伐り出したいのですから、彼らが過ごしている、ゆったりとした時間との折り合いを付けなければなりません。では、どうすればよいか。樹木の時間と人の時間のギャップを埋める方策として考えられることは、結局のところ、森に育つ一本一本の樹木に対して人が関わる頻度を下げるしかない、と思うのです。樹木が成長し収穫できるまでの時間が長大なのですから、樹木にとっては短い時間で一気に伐採、収穫してしまっては樹齢の世代間構成を歪め、生態系の中で育つ樹木の時間を狂わしてしまいます。数字の世界だけで成長量と伐採量の引き算で持続的かどうかを判断すればよい、という発想で森の中に育林計画を持ち込んでも先々の経済社会状況がどうなっているか読めないのですから、販売計画量を目標売価で売れるかどうかはわかりません。森の中の樹木が刻む時間を乱さない範囲で、いい価格で売れるときに都度、森から樹木を伐り出してくる。森に育つ樹木をやさしく丁寧に扱う。そのような「悠長な林業」を行うためには、林業従事者の生活を支える仕組みをつくらなければなりません。施業地の集約化は樹木に関わる人の数を減らします。需要拡大や歩留まりの向上によって丸太1本あたりの単価が上がれば伐り出す量を減らせます。EUの直接支払制度(食料の安定供給、農業者の所得補償、環境保全、農村振興等を目的とした共通農業政策:Common Agriculture Policyによって自然環境に深く関わる農業への支援が行われている。)のような制度が林業にもあれば林家の生活を下支えでき、樹木伐採だけに頼らなくてもよくなります。

時間は不可視、見えません。写真でみる風景はある瞬間で時間をストップさせた姿になっています。一方で、前近代の日本人は一枚の風景画の中に複数の時間性を描き込んでいたとされています。日本絵画に多用される何も描かれていない空間は、風や音・空気を風景の本質的な要素として登場させ、風景の一つ一つがそれぞれ微妙に異なる時間を持っていることを一つの絵画の中で表現していたというのです。日本の自然とともにあった日本人の時間感覚。その感覚を思い起こし、損得・効率・単純化した計算に囚われる人の時間だけで樹木を見るのではなく、樹木の時間を意識し、樹木の時間に合わせていく覚悟と発想を持つことが、わが国林業の課題を解決するための最後のピースになるような気がします。

「森林と時間 ~森をめぐる地域の社会史~」(山本伸幸さん)新泉社、いい本です。

以 上
☆まとめ 「塾頭の一言」 本郷浩二
林業では樹木の時間を人の都合に沿わせることが必要です。現代の商売の投資として50年などという数字は長すぎです。誰も商売として取り組めないほどリスクが大きいのです。リスクが大きいならば、リターンも大きいのかと言うと、木材需要が急増しない限り、人工林造成のリターンはそれほど期待できるものではないと考えています。
人は1年の期間損益で考えたいので、1年の期間損益で考えてあまり不都合のない林業を目指すべきと考えています。
植えてから50年、100年、200年の生産期間を必要とする林業ではなくて、毎年、伐って、植えて、育ててを繰り返す経営にできないか、ということです。毎年度、収穫で得た収入から森林に投資をして余剰が少しは出るくらいの伐採量を確保できる経営です。自転車操業と言ってもいいかもしれませんが…
今の並の立木価格と施業では、多分1000ha以上は必要になるでしょう。天然林も森林経営には必要と考えると、1.5倍~2倍の面積になるでしょうか。単価の高い優良木が多い山で回そうとしても、施業のコストもかかり、やはりそれなりの面積が必要になるものと思います。
自転車の循環速度を早めることができれば、面積も減らすことができると考えていますが、結局、普通に考えれば、小規模に分散した経営では成り立たないのだろうと思っています。それへの対応が経営の集積という手法です。集積した経営を回せる主体もシステムもないので、今はまだ空想の域に近いですが…
一方で、小規模な林業経営を成り立たせるためには、特別の商品を作るとか特別の収入を得るための知恵と工夫が必要不可欠です。それは経営者として何としてでもやらなければならないことで、他人と同じことをやっていて儲かることは基本的にはないのです。あるとすれば、脱炭素クレジットのような、みんなが同じことをやることで収益を保証するような社会システムを作るしかないのかなと思います。
美しい森林、健全な森林から日々の糧を得ることができることは、チャレンジする価値のある素晴らしいことだと信じています。

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