人づくりと町づくりの林業

□ 椎野潤ブログ 一般社団法人全国木材組合連合会 副会長 本郷浩二

 日本の森林は太平洋戦争の終戦時には、軍需用戦時伐採で使える大きさのものはどんどん伐採され、昭和24年時点で造林未済になっていたものが150万ヘクタールに及んだという時代でした。すべてが人工林の伐採跡地というわけではなかったと思いますが、当時、人工林が500万haしかなかった時代ですからたいへんな割合です。この造林未済地は昭和31年度までには造林が一応の完了をみました。その後、戦後復興等の木材需要に向けた伐採がさらに進み、使える太さになっていた木は次々に伐られ、人工林の蓄積は昭和41年度時点で5.6億㎥と現在の16%弱となり、ha当たりの蓄積にすると70㎥まで減っていました。その当時は人工林には使える太さの木はかなり乏しかったのです。国有林は奥地天然林の伐採を進めていましたし、人工林についてはいわゆる拡大造林の時代でした。
 ですから、30年前に伐採のためにハーベスタを購入していたというのは驚きです。天然林を切っていたわけではないでしょう。人工林は間伐がほとんどの時代ですから、間伐に使っていたのでしょうか? それとも戦時中、戦後にまだ若かった木が比較的沢山あったということかもしれません。岩手ですから、ハーベスタを使えるようなアカマツの一斉林が多かったのかもしれません。
 いずれにしても、人工林の主伐は低調で、その技術的向上も製材加工・流通のシステム改善も停滞・沈滞していた時代に、人工林を始めとした森林資源を伐採しお金にすることをしっかりと考えて自ら対応してこられた林業事業体だったということが、今の柴田産業の元にあるということだと思います。
造林・育林から伐採、製材、プレカット、そして建築と、木を作り育てるところから使うところまでを通した経営をしているところが、森林資源でお金を稼ぐことを第一に考えてきた結論だったのではないでしょうか。更に、会社として苗木生産をすることにも関心をお持ちだと伺っております。
 その一貫体制をうまく活かせている事業者は決して多くはありません。自社の建築に使うだけの製材品を挽いているわけではないでしょう。林業から発した会社にとっては、製材品を売る努力がたいへんだったのではないかと推察しますがどうでしょうか。自社の製材品を売る努力を懸命にして、勝ち残ってこられたものと思います。
お金を稼ぎ、技術開発や設備投資をしてきたことで、経営を改善し、高い生産性を実現しているわけですが、機械やシステムに投資をした目論見通りの仕事を行うためには、さらに働き手の育成にも投資をする必要があります。機械やシステムを使うのは人であることは言うまでもありません。機械やシステムの100%の能力を発揮できる人づくりをどのように進めておられるのか、もう少しお聞きしたいところです。
 森林資源の豊富なところは人口が少ないのです。これは世界共通でしょう。そして林業・木材産業の盛んなところもそのような人口の少ないところなのです。北欧、オーストリア、ロシア、カナダ、ニュージーランドなどですが、アメリカやドイツだって森林地域では少ない人で沢山の木材を生産し、世界での競争力を勝ち取っているのですから、人が少なくなっていることは、林業の世界では決して悲観することではないと思っています。このような地域では労働生産性をあげているのです。人海戦術で何事も解決してきた日本とはたぶん根本が異なっています。どうにか、日本の林業・木材産業をこれらの人口の少ない国や地域のように変えていかなければなりません。その旗手が柴田産業さんではないかと思います。
とはいえ、地域に賑わいがなくなっては、人が暮らし続けるための教育や医療、商業サービスなどを維持できなくなります。森林資源の多い地域では、それを活かすことで、人口が少ない地域に賑わいを作っていかなければなりません。町づくりに取り組んでいらっしゃるのもそのような心ではないかと思います。
 林業で儲けて、林業に関係する人が集積するような町を目指して欲しいところですが、今はそこまではいけなくても、森林資源が豊富な地域では、日銭を稼ぐ場としてだけでなく、林業・木材産業が町づくりに大きな役割を果たすことが必要になっていると思います。ポツンと一軒家というテレビ番組を見るたびに忸怩たる思いをしますが、林業が衰退してしまったことがあの風景を作ってしまったのであれば、林業が盛んになることで賑わいを取り戻せるところもあるのだと期待しています。
 そのためにも、まずは林業・木材産業で、地域にお金を生み出し回るようにしなければならないと思うのです。
                                            以上

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