山仕事を夢みて流れついた先は島根県の離島だった

椎野潤ブログ(塩地研究会第11回) 山仕事を夢みて流れついた先は島根県の離島だった

 

文責:藤本 淳

皆様はじめまして。

島根県の北、本土から約60km離れた海上にある隠岐諸島(有人島は4島)のうちのひとつ中ノ島(海士町)に居住しながら、主に森林の管理を担っています隠岐島前森林復興公社に所属する藤本といいます。いわゆるIターン(移住者)組であり、移住して今年で9年目になります。

隠岐諸島は大きく分けると、空港もあり人口も1万3千人を超す”島後”(隠岐の島町)と有人3島(西ノ島町、知夫村、海士町)で構成され島後よりも本土に近い事から”島前”と呼ばれる二つの地域に分類されます。島前3町村は、元々は大きな一つの火山島だったものが、沈下してできたカルデラ地形に海水が流入し外輪山のうち海面より出ている部分が島として認識されていて1島1自治で成り立っています。島前の産業を紐解くと、昔から半農半漁で生活してきた歴史から現在は各島で畜産業が盛んに行われています。それとユネスコの世界ジオパークに選ばれているように風光明媚な景色を活かした観光業は、島の基幹産業だと認識しています。このような離島の地で森林復興を掲げているわけです。

隠岐島前森林復興公社。ここに掲げる復興というのは限定的でして、全国的にも話題・問題になっている松枯れ被害がこの隠岐にも昭和から平成に替わる時期に全島に訪れた過去があります。もともと【隠岐の黒松】として一部ブランド材木として扱われているようで、以前の島前の山は植林された松林が一面に広がっていたと当時を知る島の先輩方から話を聞いています。その被災跡地の緑の復興を掲げて(島前3町村出資の元に)設立されたのが当公社であるわけです。

自分の話を少しさせていただくと、移住してきて9年目と言いましたが移住当初は地域の森林組合にて作業員として現場で汗をかいていました。作業内容は復興公社の計画の元に、毎年3〜5ha被災跡地に対して植えられた苗木に対する保育作業が主な仕事でした。山での下刈りや除伐作業は隠岐に来てから経験する事でも、身体さえ慣れてしまえば自分たちで植えた苗木を育てている意識と共にやりがいを感じることもできました。

働きだして4年程経った時に気づいたのは、森林組合としてさらに言うなら事業の発注者である復興公社からは仕事に対する計画性というか目標そのものが感じられない、伝わってくるモノがありませんでした。それもそのはずで、復興公社としての目的であった”緑の復興”は設立から25年を迎えた今では、無惨に枯れた松林等想像もできないぐらい島全体が眩しい緑に覆われていて、果たして何を復興させるのか誰にも分からない様な環境なのです。今となっては復興公社設立時の人材も残っていなければ、中長期的な計画の元に事業を進めていく考えすらないのです。

現場で働いているうちは、仲間内で話題に上がり愚痴を言い合う事はあれど、それを議題として提案する術を知らず只々、山で汗を流した分だけ一緒にやりがいも失っていく、なんとも虚しい時間を過ごしました。そんな心の状態であのキツい仕事が続く訳も無く山に対する想いと共に作業員としての仕事は辞める事になりました。悩みながらも生活の為に畜産業に飛び込もうと牛の世話の手伝い等している時に、今の仕事の前任者の方に声をかけてもらい再び山の世界へ、今度は管理側として戻って現在に至ります。

次回以降は今どのような事を考えながら森林に携わっているのか、具体的にどんな仕事をして、また島の生活をどのように楽しんでいるのか等をお伝えしていければと思います。

 

まとめ 「塾頭の一言」 本郷浩二

現在の森林には、その履歴が残っています。隠岐というと、スギの天然林があるということでスギの適地だったのではないかと想像していましたが、島前はもともと天然クロマツの林が多かったのでしょうか?マツの一斉人工林の造成目的は、国内各地では製紙パルプ用材や坑木用材の生産である場合が多いのですが、こちらではスギよりもマツが適している梁や基礎木杭などの建築用材生産が主たる目的だったのでしょう。この目的が達成できないまま、松くい虫の被害を受けてしまったことはたいへん残念です。

行政が公社を作って被害跡地をわざわざ再造林したのは、国内林業を取り巻く時期的な状況を考えると、木材生産は副次的なもので、景観保全や国土保全だったということでしょう。島ですから水源涵養も重要な目的だったかもしれないと想像します。それらはたいへん尊いことだとは思いますが、その成果が見えにくいこともありますし、木が育つ間は森林が水を消費する面もあったりして、公社の事業もジレンマに陥ってしまわれているのかもしれないな、と思いました。移住者の藤本さんにとっては、地域の将来を作るような地域に回るお金と人材が増える事業ができないため焦りが生じていることは想像に難くありません。間伐材はなかなかお金を生み出せないし…

地元の島の人口減少で地場の需要が少なくなり、建築材利用では海を渡って需要のある都市部に持って行かなければならないという、他所と比較してそもそも非常に条件不利な条件にあると思います。島前の森林の保全・利用にどのような活路を考えておられるのか。次回以降のお話に期待しましょう。

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