林業のアトツギを生きる①

□ 椎野潤ブログ(芦田拓弘) なぜ家業に戻ったのか―アトツギとしての決断                         

株式会社Eco Forest Friendly/株式会社あしだ
代表取締役 芦田 拓弘

私は京都府南丹市で林業を営む家に生まれました。祖父の代から続く、創業60年の林業会社の三代目アトツギになります。とはいえ、幼い頃から当然のように「自分が家業を継ぐ」と決めていたわけではありません。学生時代の私の夢は「プロサッカー選手」。大学は化学を専攻し、就職でプラントエンジニアになり、林業とは離れた世界にいました。
小学生だった2000年代頃は、ちょうど京都議定書が採択された時代です。「地球温暖化が進んでいる」「あと50年で石油が枯渇する」「北極の氷が溶けてシロクマの住処が減っている」「大規模な焼畑農業が問題になっている」といった環境問題が、テレビや学校でも取り上げられ始めた時代でした。その中で、家業に対しても漠然と「林業は木を切る仕事だから、もしかすると環境破壊をしているのではないか」と思ったことがありました。もちろん、それは子どもながらの浅い認識であり、実際の林業の役割や意味を理解していたわけではありません。
当時の私にとって、父母がしている仕事は、とても身近にありながら、内容はほとんど知らないものでした。たまに父にトラックで丸太を市場へ運ぶのに連れて行ってもらい、私は市場の自動販売機で売っていた「力水」という炭酸ジュースを飲むのを楽しみに父親について行ってました。家業との距離感は、そのくらいのものでした。
その後、私はエネルギーや地球環境といった分野に興味を持ち、大学・大学院では化学を学びました。卒業後はプラントエンジニアとして、エネルギーや産業インフラに関わる仕事をしていました。巨大な設備をつくり、社会の基盤を支える仕事には大きなやりがいがありました。
そんな私が、家業や林業について改めて考えるきっかけになったのは、家業の手伝いとして始めたホームページ作成でした。ワードプレスを使って、株式会社あしだのホームページを作りました。作った直後に思ったのは、「さて、このホームページを誰が見るのだろうか」ということでした。当時から慢性的に家業では採用に困っていました。林業は担い手が減っており、若い人に仕事の魅力が伝わりにくい。そこで、採用や情報発信につなげるために、「Woodyニュース」というブログを始め、林業や森林に関する記事を書き始めました。そのために林業について調べ、現場の話を聞き、森林の役割を学ぶうちに、私は初めて気づきました。
林業は、単に木を伐る仕事ではない。
60年、あるいはそれ以上の時間をかけて森を育てる仕事であり、森林保全や地域の暮らしを支える公共的な役割を持つ仕事なのだと。改めて林業のことを学ぶうちに、家業が単なる一企業ではなく、地域の森や人の暮らしと深く結びついていることを知りました。そして同時に、その林業が衰退している現実も知りました。
担い手が減っている。
木材価格が低迷している。
山の所有者が山から離れている。
森林資源・価値が社会に有効的に活用されていない。
このままでは、先代たちが守ってきた森の価値が失われてしまうのではないか。そう感じるようになりました。
林業は第一次産業で古い業界に見えると思います。危険で、きつく、収益性も高くない。若い人が積極的に飛び込む産業とは言いにくい面もあります。実際、私自身も家業に戻る前は、林業の経営や現場の実態を十分に理解していたわけではありませんでした。しかし、子どもの頃に抱いていた「木を切る仕事だから環境破壊なのではないか」という単純な見方は、大きく変わっていきました。林業には多くの慢性的な課題があります。森林保育の収益性、再造林の継続、木材流通のあり方、担い手不足など、向き合わなければならない課題が山積みです。しかしながら、それと同時に本来の林業は、森林資源を活用しながら地域で循環させることで森を守り、次の世代へつなぐ公益的な営みです。
山を守ること。
地域の雇用を守ること。
災害を防ぐこと。
水を育むこと。
木材という資源を次の暮らしにつなぐこと。
そして、先代たちが築いてきた地域との信頼を未来へつなぐこと。
林業には、目に見える売上や利益だけではない公共的な価値が詰まっていました。
この気づきは、私にとって大きな転機でした。
一方で、「Woodyニュース」の読者との意見交換では、やはり「林業」と聞くと「伐採」というイメージにつながり、それが「森林破壊」という印象に結びついていることも多くありました。
しかし、「森林破壊」という言葉が本来指すのは、過剰な木の伐採によって森林面積が著しく減少してしまうことです。木材輸出を目的とした大規模伐採、密輸による違法伐採、農地確保のための焼き払い、森林火災などがその代表例です。世界の一部地域で行われているこれらの「森林破壊」のイメージが、日本の林業における通常の伐採と結びついてしまっている。そこに、日本の林業に対する認知不足があるのではないかと感じました。
それも無理はありません。
同じ第一次産業である農業や漁業は、消費者との距離が比較的近い産業です。農業であればお米や野菜、漁業であれば魚が商品として食卓に届きます。しかし、林業の商品は丸太です。消費者が丸太をそのまま渡されても困りますから、林業の場合、丸太が消費者に届くまでには、市場、製材所、工務店、家具メーカーなど、複数の業種が間に入ります。そのため、消費者が林業そのものに直接触れる機会はありません。また、農業は比較的イメージしやすい産業です。家の近くに田んぼや畑があり作業している様子も見ることができます。またお米であれば春に田植えをして、秋に収穫するという一年のサイクルもわかりやすい。
それに対して、林業の現場は多くの場合、山奥にあります。作業は人目につきにくく、森を育てるサイクルも60年という非常に長い時間軸です。例えば間伐という作業をしていても、消費者からすれば「何のために木を切っているのか」が分かりにくいのです。だからこそ、林業は誤解されやすい産業なのだと思います。
しかし現代において、林業に求められる役割は丸太生産、つまりBtoBの原木供給だけではなくなっています。カーボンニュートラルの取り組みに準ずる森林クレジット、森林保全作業による水源涵養、生物多様性の保全、防災、地域景観、教育、観光など、林業の環境的・社会的な役割が改めて求められるようになっています。そのような中で、社会人として働きながら、私は今後の人生で何をしたいのか、自分の原点はどこにあるのかを考える機会が増えていきました。
私の家は、幼い頃から仕事と暮らしが非常に近い環境でした。食卓のすぐ隣には父母の仕事机があり、両親はいつも忙しく仕事をしていました。家族経営ですので、仕事とプライベートははっきり分かれているものではなく、生活の中に仕事があり、仕事の中に家族があるような日々でした。私にとって、家業は幼少期の思い出そのものでもあります。そのような環境で育ってきた中で、林業という産業が衰退していき、会社の今後がどうなるか分からないという現実を感じるようになりました。もし「あしだ」がなくなるということがあれば、それは私にとって、幼少期の思い出まで失われてしまうことに近い感覚でした。
そして昨年、母が亡くなり、その思いはより強くなりました。
父や社員が、植林や森林保育の現場で汗水流して働いている姿。作業着を泥だらけにして帰ってくる父の姿。そうした姿を見てきた私にとって、森林保育のバトンをここで落としたくないという思いがありました。また、林業が「伐採」というイメージだけで語られてしまうことにも、強い違和感がありました。もっと林業に関わる人たちの仕事が正しく伝わってほしい。就業の面でも、もっと報われる産業になってほしい。父や社員、そして林業に関わる多くの関係者が報われてほしい。そうした思いが、少しずつ自分の中で大きくなっていきました。
前職のプラント建設では、工事を管理する中で、ヒューマンエラーが常に課題でした。そのため、できるだけ人が関わらなくても管理できる仕組みや、ミスを防ぐ設計が求められていました。
ちょうどその頃、将棋の羽生善治さんがAIに敗れたというニュースもありました。AIやロボットによって、さまざまな仕事が置き換わっていくことは、もはや避けられない流れだと感じていました。その一方で、林業は最後まで人が関わる余地が残る仕事なのではないかとも感じました。
森林現場は一つとして同じものがありません。地形も、木の育ち方も、所有者との関係も、地域によっての地質や森林保育の方針も違います。そこには、データや機械だけでは判断しきれない、人の経験や感性、責任感が必要です。だからこそ、将来、人がやりがいを持って働ける仕事として、林業に再び人が集まってくる可能性があるのではないかと思いました。
ただし、現状の林業は、まだその人たちを十分に受け入れられる基盤が整っているとは言えません。業界課題を解決し、若い人が入りたいと思える産業にしていく必要があります。そこに自分の残りの人生を賭けて、家業と林業業界をより良くしていくことに、私は大きな魅力を感じました。そして、何より両親や社員が繋いできた「あしだ」の魂を途絶えさせたくないという思いから、アトツギとなることを決意しました。もちろん、今までの小さいキャリアを捨てて家業に戻る決断は簡単ではありませんでした。そして林業に戻ったからといって、すぐに何か大きなことができるわけでもありません。むしろ分からないことしかない。一からのスタート。現場に出れば、山の地形、木の見方、道の付け方、機械の動かし方、天候の読み方、職人さんたちとの関係づくりなど、机上では学べないことばかり。自分が大学院で学んだことや、プラントエンジニアとして経験したことは、役立つわけはありませんでした。
それでも、現場で日々働く父や社員の姿を見ているうちに、少しずつ考えが変わっていきました。この産業には、変えてはいけないものと、変えなければならないものがある。変えてはいけないものは、日本の森に対する敬意であり、林業という文化、そして地域との信頼であり、そして何よりも技術の伝承。長い時間軸で物事を見る感覚です。一方で、変えなければならないものも多くあります。口頭伝承であること。森林資源が十分に活用できていないこと。流通がアナログで閉鎖的であること。林業に一切の価格決定権がないこと(農業のお米問題よりもひどいと思う)。若い人が入りにくい産業構造になっていること。地域材が地域で活用されず、経済価値として十分に循環していないこと。家業に戻った私は、最初から大きなビジョンを持っていたわけではありません。ただ、現場で感じたこれら違和感や課題を一つずつ考えていく中で、次第に「この産業にはまだまだ出来ることがあり可能性がある」と思うようになりました。アトツギという立場は、単に先代の仕事をそのまま引き継ぐことではないと思っています。先代たちが守ってきた歴史や信頼を引き継ぎながら、時代に合わせて新しい形をつくっていくこと。それがアトツギの役割ではないでしょうか。
林業は、決して「伐採」だけではありません。森林資源、地域材、脱炭素、災害対策、地域経済、教育、観光、まちづくり。これからは社会と深くつながる産業です。だからこそ私は、家業である林業を、次の時代に必要とされる産業へとつなぎ直したいと思っています。
この連載では、私が家業に戻ってから見えてきた林業の現場の課題、木材流通システムの開発、そしてEco Forest Friendlyとして描いている地域循環の構想について、少しずつ書かせていただきます。まずは、なぜ家業に戻ったのか。それを一言で言うならば、「家業と林業に、自分の人生を賭けたいと思ったから」です。

次週に続く

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