地域再生 障害者雇用 共生社会構築の「戦力」 奈良県仲介担い実習3倍

働く障害者が、日本の次世代の社会・産業を競争力のあるものにして行くために、重要な戦力になるということが、ここにきて、一層明確になってきました。日本各地のどの地域が、障害者を戦力として有効に活用してきたかを知るには、障害者の雇用率をみれば明確にわかります。

 

林業再生・山村振興への一言(再開)

 

2021年10月 (№150)

 

□椎野潤(続)ブログ(361) 地域再生 障害者雇用 共生社会構築の「戦力」奈良県仲介担い実習3倍 2021年10月22日。

 

☆前書き

日本経済新聞が、日本全国での障害者雇用率を調べています。また、ここで高い雇用率を達成した地域は、どんな施策を講じてきたのかを、日経は丁寧に調べています。2021年9月11日の日本経済新聞が、これを書いていました。今日は、これを読んでブログを書きます。

 

☆引用

「働く障害者が「戦力」として存在感を増している。民間企業の障害者の雇用は2020年6月1日時点で57万8292人、従業員に占める割合を示す雇用率は2.15%となり、いずれも過去最高だった。東京パラリンピックで多くの人が意識を新たにした共生社会。多様性を尊重する理念を次の世代につなげていくことが、新たな地域をひらく。(参考資料1、2021年9月11日、日本経済新聞(江口博文、瀬口蔵弘)から引用)」

 

☆解説

厚生労働省の集計によりますと、雇用する障害者が、従業員に占める割合を示す雇用率が、雇用率の上限を国が定める法定雇用率(注1、2.2%)を上回われたのは、僅か29府道県でした。でも、障害者の雇用は、法定雇用率が1.8%だった2005年当時よりも3倍に増えており、障害者の雇用は着実に増えています。

都道府県別に見るとトップは2年連続で奈良県が、雇用率は2.38%でした。でも、奈良県が障害者の雇用率で2年連続トップになったのには、それなりの理由があるのです。早くから県内で努力が重ねられているのです。ここでの先行者の実施例を良く見ておけば、立ち遅れている地域の今後の地域創生に、大いに、参考になるはずです。ここでは、奈良県の取り組みを詳しく説明し、参考になると思われる2位の沖縄県と7位の大分県を重ねて報告します。

奈良県は、2015年以降3年以上トップを維持しています。ここでの牽引役は県と県労働局が2014年に共同で立ち上げた「障害者働く応援団なら(奈良)」です。

スムーズな入社につなげるには、適性を確かめる職場実習が欠かせません。そこで障害者雇用に熱心な地元企業を登録する仕組みを作り、県独自のコーディネーター(注2)を介して障害者と企業の接点を強める試みを重ねてきました。各社の経験や課題を共有するなどの関係強化が進展し、当初20社だった登録企業は55社に増えました。企業が行う職場実習は「応援団」発足前2012年度の3倍になりました。

2位の沖縄県は、2005年比の雇用率上昇率は1.18ボイントでトップでした。障害者が雇用契約を結んで働きながら、企業に就職するための訓練を積む福祉サービスの拠点を100カ所以上設置しました。これが障害者雇用率が好調な理由です。沖縄県では、障害者雇用義務のある企業ばかりではなく、それ以下の小企業・零細企業・団体も積極的に障害者を雇用しています。ですから福祉施設や中小・零細企業で障害者が担い手になっているのです。

リネン業の大洋リネンサプライ(沖縄県石垣市)は従業員92人のうち14人が障害者です。同社では「障害者職業生活相談員」の資格を持つ6人を配置しています。この人達が同僚とのコミュニケーションが取れなかったり、文字を読むのが苦手だったりする人達を、一人ひとり丁寧にケアしています。

7位の大分県では、今から49年前の1972年に、社会福祉法人「太陽の家」(別府市)と立石電気(現オネロン)が「オムロン太陽(注3)」を設立しました。これが障害者雇用の日本での先駆けでした。(参考資料1、2021年9月11日、日本経済新聞(江口博文、瀬口蔵弘)を参照引用して記述)

 

☆まとめ

障害者雇用で、2年連続全国トップになった奈良県の取り組みが注目されます。ここで鍵を握ったのは、7年前の2014年に県と県労働局が、共同で立ち上げた「障害者働く応援団なら(奈良)」でした。ここで重要だったのは、働き手として「身障者」を熱心にさがしていた企業を、この活動の中心に据えたことでした。それは長い間、働き手の募集に苦しんできた地元の中小零細企業の人達が中心でした。

この人達に、県独自で集めたコーディネーター(注2)を連携させました。そして就業希望の障害者が入社前に、企業に馴染めるようにする「職場実習」に力を入れました。これは雇用確保と障害者の支援の双方にとって、きわめて適切な対策だったのです。

沖縄県も、小規模零細企業の障害者雇用支援に力を入れています。それで、これまで人手集めが難しかった中小零細企業は、労働者の確保が可能になっています。国は一定規模より大きい企業に障害者の雇用を義務付けています。でも、実際は、小規模零細企業の方が障害者雇用に熱心なのです。小さい企業は障害者以外では、働く人を集めるのが、ますます、困難になってきているからです。

 

障害のある人は、周囲の人達とコミュニケーションを取りにくく孤独でした。でも、最近は、この人達を助けようと多くのボランティアが活動するようになりました。それで最近ようやく、この人達に支えられて身障者は、立派にコミュニケーションが取れるようになりました。

身障者は、ここで出来るようになった仕事を、自分の天職と考えて集中し仕事に励んでいます。一方で大都市では、激しい競争の中で疲れ果てて沈み込んでいる人たちが増えています。そのような人の姿を見ていますと、近年の働く身障者の心のありようは、むしろ、人間の望ましい姿の原点であるように見えてくるのです。ですから、生き生きと働く身障者の姿は、都会で疲れ果てている人達を助け起こすモデルになるばずなのです。働く障害者に助けてもらっている小規模零細企業が、今、各地で増えています。

 

今から半世紀前の1972年に立石電気(現オムロン)によって設立された「オムロン太陽(注3)」。これは日本の障害者雇用の先駆けでした。最近でも、年間6000人の人達が見学に訪れています。50年間にわたり、同社から啓発を受けた企業は凄く多かったのです。これが今日の日本の福祉社会の出発点でした。でも、コロナ禍を経て、「オムロン太陽」から学ぶべきものは、大きく変わってきていると思います。「オムロン太陽」には、これまで人々が感動してきたものを超えて、さらに深い神髄があるはずです。(参考資料1、2021年9月11日、日本経済新聞(江口博文、瀬口蔵弘)を参照引用して記述)

 

(注1)障害者雇用率:全従業員数に対して障害者の雇用数の割合

(注2)コーディネーター(coordinator):様々な要素を統合・調整し一つにまとめ上げる人。または職業。

(注3)オムロン太陽:大分県別府市に本社を置く電子部品などを製造、販売する会社。オムロン株式会社の特例子会社であり、電子機器に使用する部品(リレー部品、センサ部品、スイッチなど)を製造している。 「世に身障害者はあっても仕事に障害はありえない」を信念に活動していた社会福祉法人「太陽の家」創始者の中村裕と、「企業は社会の公器である」というオムロンの創業者の立石一真の理念が協調し、福祉施設と民間企業の合弁という形で設立された。このことから、社員に占める障害者の割合は、非常に高いものとなっている。2012年8月現在、全従業員の約5割が障害者。

 

参考資料

(1)日本経済新聞、2021年9月11日。

 

[付記]2021年10月22日。

 

[コメント] [最後にもう一つ大事なこと]

最後にもう一つ大事なことがあります。ここでの元気な障害者を、改革の戦力にしていくことにも、自治体行政の役割・影響がとても大きいのです。でも、これは自治体間の経済的な競争を誘導する分野ではなのです。自治体としての根源的な社会への危機意識に基づく政策です。ここでランキングすることが、素直に自治体担当者の適切な評価や関係者の誇りや自信など、更なる推進力につながることを願っています。でも、ここでは、社会的な弱者である障害者を支援しようという日本社会の中で育ってきた大きな力が、推進力になっています。これと自治体の高揚が相まって、日本の次世代社会へ向けた力強い動きが胎動することを、私は期待しています。

 

山村振興も自治体間で元気な障害者をを奪い合うことにならないような社会共通の意識に、誘導して行かなければなりません。

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