塩地博文 初夏総まとめ論文(その3) 「林業再生と山村振興]林産複合体企業を目指せ〜消費者直結生産

林業再生・山村振興への一言(再開)

 

2022年6月(№217)

 

□ 椎野潤(新)ブログ(428) 林産複合体企業を目指せ〜消費者直結生産 2022年6月17日

 

☆前書き

このブログは、塩地博文さんの2022年初夏総まとめ論文(その3)林産複合体企業を目指せ〜消費者直結生産です。

 

☆引用

塩地博文著 初夏総まとめ論文(その3)「林業再生と山村振興]林産複合体企業を目指せ〜消費者直結生産 2022年6月17日

 

「林業」と名の付く企業を頭の中で想像しても、上場を果たしている企業では、1社くらいしか浮かんでこない。その企業も、住宅建設が中心であり、林業・林産業の代表者とは思えない。上場企業や企業規模の大小が、社会への有益性を示す指標ではないが、一般的な消費者や生活者には、林業という存在が身近とは映らないだろう。

 

木材は身近な素材で生活材料と言える。しかし、林業は生活圏から離れた存在で、生活者には身近ではない。その混沌はどこから生まれてくるのか、考察したい。

 

結論から書き始めると、それは仲買人、中間事業者、生産プロセスの分業にある。生活者に対して、正対していない産業構成が、斜に構える習慣を日常化させている。この真因は二つ。一つは、天然品から派生する様々なリスクを分散したいとの思惑と、もう一つは、機械や設備メーカーの枠内での工業化にとどまっている事にある。

 

天然品だからという立ち位置に立つと、強度、そり、曲がり、模様、節の有無、匂いなどなどが絡み合い、売り買いに齟齬が生じやすい。多少の手数料は払っていいので、仲買人を通して、コミュニケーションを複雑化させる。

この複雑さは、例えば、再納品に至るような瑕疵商品が出た場合、複雑コミュニケーションがその時間を稼ぐ役割を担う。直ぐには用意出来ないので、時間が欲しいのだ。

もう一つは機械設備メーカーの存在が少なく、競争濃度が低いために、機械設備メーカーの言いなりになる傾向が高い。機械メーカーは、標準的で定番製品を売りたいために、製材機、プレカット機と単独生産性に注力がいき、その連動性には配慮しないケースがみられる。

 

その双方の理由から、消費者や生活者を意識しない生産と流通が、未だに幅を利かせている。林業も林業生産も、最終的な購買者を意識していない。

一方で、フェイク(注1)と言われる木材の材質をコピーした、床や家具などの製品は、消費者を最大限に意識している産業であり、多くのフェイク企業は上場を果たし、または大企業の地位を占めている。フェイクは産業化工業化を果たしているに関わらず、本物は天然品リスクから逃避し、機械メーカーやソフトメーカーに従属している。

 

国産材は、フェイク(注1)とも海外木材とも戦う運命から逃れられない。しかし、そのライバル達にはそれぞれ弱点がある。フェイクは意匠材で表層の模様だけ、海外材はプロダクトアウトするしかなく分業生産しか消費者に届けられない。国産材には、ライバルには決して模倣できない「場所メリット」がある。それなのに、流通経路の長い仲買人を通した、プロダクトアウト生産を続けるなら、消費者への密接は果たせない。産地直送の、素材感を活かした生産と小売りの直結の模索こそが、ライバル達への対抗策となりえる。

 

消費者直結生産を行うべし。

 

丸太から製材し、それをそのままプレカットした上で、大型パネル化し、消費者へ直売する生産システムへの変更こそ、果たすべき生産イノベーションと思われる。海外材の規模と分業を模倣しても意味は薄い。日本各地に森林があり、そして消費がある。この産地と消費地の近接こそが、国産材の活かすべき最大メリットである。

 

特に、無垢材は生産後、その品質は劣化が進む。曲げや反りが発生し痩せる。大工が建設現場で最終仕上げ寸前にカンナをかけたのは理由がある。木組みをおこなう瞬間にこそ、最終製材すべきとの教えである。

 

一連の連動生産で大型パネルを生産し、それを施主を始めとする消費者の前で見せながら、地域生活者への親和を得ることが、国産材振興、地域振興、山村復興への一里塚と思われる。(塩地博文著 初夏総まとめ論文(その3)林産複合体企業を目指せ〜消費者直結生産)

 

☆まとめ

ここでの結論は明確です。この論文の表題に記されているように「消費者直轄生産」を徹底的に実施するべきなのです。

現状の生産システムを、「丸太から製材し、それをそのままプレカットした上で、大型パネル化し、消費者へ直売する生産システム」へ変更するべきなのです。これが、今、果たすべき生産イノベーションです。

林業・林産業者は、永い間、儲ける存在になることを夢見てきました。でも、この三連載ブログで、再三再四述べてきたように、それには、これまでの重商主義からの離脱が大前提でした。

日本の豊かな森林と消費地を近接させた「地産地消生産」に徹するべきです。結局、「一連の連動生産で大型パネルを生産し、それを施主を始めとする消費者に、目前で見せながら、地域の生活者との理解を深めること」が、最善策なのです。結局これが国産材振興、地域振興、山村復興への確実な一里塚なのです。(椎野潤が記述)

 

(注1)フェイク (Fake): 偽物、模造品。

 

参考資料

(1)塩地博文著 初夏総まとめ論文(その2)「林業再生と山村振興]林産複合体企業を目指せ〜消費者直結生産。2022年6月17日

 

[付記]2022年6月17日。

 

 

 

[追記 東京大学名誉教授 酒井秀夫先生の指導文]

[指導を受けたブログ名:□ 椎野潤(新)ブログ(427) 林産複合体企業を目指せ 〜 重林主義 2022年6月14日

 

文月恵理様

 

ブログ配信ありがとうございます。

 

前回に続いて、今回は塩地さんが論文第2弾として、「重林主義」を提唱されました。

伐採した木材に最大限の付加価値を取り込み、サプライチェーンにより、更に進んだ統合生産に乗り出し、伐採して遺失した資源は必ず復元する、というもので、この三原則が重林主義の骨子です。

付加価値を高める事を優先しなければ、人材は呼び込めないとされ、付加価値を高めることで、再造林を可能にします。いま、日本が世界に誇れる明快な思想です。

そのためには、塩地さんは「誰よりも高く買う」デジタル市場を創設すべきであると主張されています。

椎野先生は、林業界には、自己事業のリスクを回避し、目先の利益の獲得に敏捷に動く無数の重商主義者の存在を指摘しておられますが、自己事業のリスク回避が分業化をもたらし、結局は林業界の首を絞めてきたという前回の話しに戻っていきます。

重商主義の時代にあって、アダム・スミスは、「金や銀は富ではない。みんなが毎年一生懸命働いて生み出していく生産物こそが富だ」と言っていますが、まさに重林主義にも通じると思います。アダム・スミスは、国家が経済をコントロールするのではなく、市場原理にまかせておくのが良いということでも有名ですが、子どもを甘やかすような補助金の与え方は市場をゆがんだものにし、経営者にとってはコスト構造をあいまいにし、労働生産性向上には弊害になりかねないです。

 

酒井秀夫

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