塩地博文 初夏総まとめ論文(その2) 「林業再生と山村振興]林産複合体企業を目指せ〜重林主義

林業再生・山村振興への一言(再開)

 

2022年6月(№216)

 

□ 椎野潤(新)ブログ(427) 林産複合体企業を目指せ 〜 重林主義

2022年6月14日

 

☆前書き

このブログは、塩地博文さんの2022年初夏総まとめ論文(その2)「林業再生と山村振興]林産複合体企業を目指せ〜重農主義・フィジオクラシ―です。

 

☆引用

塩地博文著 初夏総まとめ論文(その2)「林業再生と山村振興]林産複合体企業を目指せ〜重農主義・フィジオクラシ―(注1)。2022年6月14日

 

[重農主義]重農主義(注1)は、18世紀後半にフランソワ・ケネー(注1)などによって提唱された経済思想である。戦争による疲弊と王権による富の集中が、この理論を生み出した。富の唯一の源泉は農業であり、農業生産のみが剰余価値を生み、農業資本の拡大再生産をもたらし、商業は農業がもたらす生産品があればこそ初めて成立し、生産品なくして生産者としての価値は存在しないと主張している。(この項(注1)に解説あり)

 

このブログでは、「林産複合体企業を目指せ」というテーマで著述しているが、その具体化は、サプライチェーンでは足りない、林産複合体の組織をスタートアップせよ、港湾型林産業から内陸型林産業への変換を急げ、木造プレファブ工場で共益型経営に進めよというものである。なお、重農主義は、重商主義(注3)への対立思想でもある。現在の林業林産業も、重商主義に浸食されており、林業林産業の疲弊の正体が、ここに滲んでいる。

 

あるシンクタンクの論文に、現在の林業林産業は、木材生産物と同額の補助金が流れ込んで、産業の体裁を保っているとの指摘があった。これを単純化して述べると、売上高1億円の企業に、補助金1億円が入り、それが売上高に算入されて、売上高2億円の企業の体裁を有する。その売上高2億円企業の収支をゼロと仮定すると、補助金が無くなれば、1億円の赤字企業となる。その1億円の赤字は、「未来の木材生産物への投資」と評するのは難しい。実態は、産業構造の枠内にいながらも見合い収益のない人件費の総額と考えられるからである。

すなわち、売上高に繋がらない人件費を、補助金が補っている。この採算を変えるには、売上高を2倍にすることである。でも、それだけでは収支はゼロのままなので、人の働き高(労働生産性)を急速に高める必要がある。

 

結論を急ぎたい。林業林産業に潜んでいる重商主義者(注3)を、徹底的に排除し、その重商主義者を山林従事者へ振り替えるインセンティブ政策を開始すべきである。加えて、再三再四主張している様に、「誰よりも高く買う」デジタル市場を創設すべきである。更に、木材生産物の一気通貫生産、周辺事業(建築、建材取引)の取り込み、木材一本当たりの売上高を上昇させる付加価値取り込み策を開始すべきである。

 

「重林主義」。重林主義(注2)と言う語は、林産業は林業生産物がなければ成立しない、林業生産物は再造林しなければ復元しない、一度伐ったら、次の収穫は半世紀後になる。その原則に立ち返れと主張したいために産み落とした言葉である。伐採した範囲で最大限の付加価値を取り込む、サプライチェーンにより、更に進んだ統合生産に乗り出す、伐採して遺失した資源は必ず復元する、この三原則が、重林主義の骨子である。

短期的な商業面に重きを置かずに、生産改善、付加価値取り込み、人材配置のインセンティブ政策、再造林へのシフトを強める事は、産業構造の抜本改善を迫るものである。

しかし、立木価格が高くなったからと言って、安易に伐採を進めてはならない。その結果、生れる木材生産物のダブつきは、商業主義の餌食となる。付加価値を高める事を優先しなければ、産業に人材は呼び込めない。付加価値を高め、再造林への採算を明らかにした上で、伐採量の右肩上がり増産を計画すべきである。

 

300年の時を経ても、重農主義は、未だに我々の日常を形作っている。しかし、重農主義か重商主義かのテーマは、未だ決着しえない社会課題でもある。重林主義は、産業振興が急速に進む中、その資源量を蓄え続けた日本だけが世界に誇れる思想(注4)だと思うのは、筆者だけなのだろうか。(塩地博文著 初夏総まとめ論文(その2)林産複合体企業を目指せ〜重農主義。フィジオクラシ―)

 

☆まとめ

塩地博文さんは、この論文の中で以下のように述べておられます。

林業林産業に潜んでいる重商主義者(注3)を、徹底的に排除し、その重商主義者を山林従事者へ振り替えるインセンティブ政策を開始すべきである。加えて、再三再四主張している様に、「誰よりも高く買う」デジタル市場を創設すべきである。更に、木材生産物の一気通貫生産、周辺事業(建築、建材取引)の取り込み、木材一本当たりの売上高を上昇させる付加価値取り込み策を開始すべきである。

 

重林主義(注2)の骨子は、「伐採した範囲で最大限の付加価値を取り込む、サプライチェーンにより、更に進んだ統合生産に乗り出す、伐採して遺失した資源は必ず復元する」が三原則である。

商業面に重きを置かずに、生産改善、付加価値取り込み、人材配置のインセンティブ政策、再造林へのシフトを強めることが重要である。これは産業構造の抜本改善を迫るものである。

 

しかし、立木価格が高くなったからと言って、安易に伐採を進めてはならない。その結果、生れる木材生産物のダブつきは、重商業主義(注3)の餌食となる。付加価値を高める事を優先しなければ、産業に人材は呼び込めない。付加価値を高め、再造林への採算を明らかにした上で、伐採量の右肩上がり増産を計画すべきである。(塩地博文論文を参照引用)

 

ここまで書いてきて、私は、以下のことに気がつきました。

塩地さんは、この論文の中で、多くの重要なことを述べておられますが、労働生産性を急速に高める必要があると、特に強い言葉で強調されています。それには労働生産性の低下の主たる原因を形成している重商主義者を徹底的に排除して、その重商主義者(注3)を山村従事者に振り換えることが極めて重要です。

そのためには、そこで移行する該当者が利益につながるようなインセンティブ政策が、きわめて重要になります。これを思い切って強力に断行するべきです。

 

また以下の諸点が重要です。

(1)重林主義(注2)の骨子、「最大限の付加価値を取り込み、サプライチェーンによる、更に進んだ統合生産、伐採による遺失資源の復元」が重要である。

(2)産業構造の抜本改善。商業面に重きを置かない。「生産改善、付加価値取り込み、人材配置のインセンティブ政策、再造林へのシフトの強化」に重点を置く。

(3)立木価格が高くても伐採しない。重商主義(注3)の餌食となる製品余剰をつくらない。

(4)付加価値を高め、再造林への採算を明確にし、伐採量の右肩上がりの増産を計画する。

 

林業界には、自己事業のリスクを回避し、目先の利益の獲得に敏捷に動く小粒の重商主義者(注3)が無数、うごめいています。彼らが自己利益のため森林従事者に転身するようなインセンティブを設けるしか策がなさそうです。(参考資料1を参照引用して椎野潤が記述)

 

(注1)重農主義(physiocracy):18世紀後半、フランスのフランソワ・ケネーなどによって主張された経済思想およびそれに基づく政策である。「physiocracy=フィジオクラシー」は、自然の秩序による統治/支配)」という言葉に由来している。1767年に、デュ・ポン・ド・ヌムールが編纂した『フィジオクラシー、または人類にとってもっとも有益な統治の自然な構成』が出版され、それ以降、この言葉がケネーらの思想を指す呼称として定着していった。日本では、明治時代に「フィジオクラシー」が紹介された当初は「天理学派」「理物学派」などという訳語をあてられていたが]、アダム・スミスがこの派の学説を「農業のシステム」と呼んだことが知られるようになって、「重農主義」という訳語が定着するようになった。しかし、この学派の関心領域が農業理論に限定されていないことから、木崎喜代治ら現代の研究者は、原語のまま「フィジオクラシー」と呼ぶことが多い。

(注2)重林主義:重農主義と呼び、多くの人達が産業・社会の改革を農業を中心に議論してきたのに対して、「林業」についても同様に、これを考えるべきだとして、塩地博文が提唱した語。重農主義=フィジオクラシーは、「人類にとってもっとも有益な統治の自然な構成」を、農業を中心に考えてきたが、重林主義は、これを林業を中心に考える。

(注3)重商主義:重商主義は重農主義と対立する語として、塩地博文が作出した語。多数の仲買人・中間業者・生産プロセスを重複して林立させる産業構成を維持し、天然品から派生する様々なリスクから逃避を続ける。「人類にとってもっとも有益な統治の自然な構成」を目指す思考は絶無である。重商主義者:重商主義を信奉する者、または、それに類する動きをする者。

(注4)「資源量を増やし続けた」とは、「官民で植林を続け、山林内の樹の蓄積を増やし続けた」こと。

 

参考資料

(1)塩地博文著 初夏総まとめ論文(その2)「林業再生と山村振興]林産複合体企業を目指せ〜重農主義。フィジオクラシ―(注1)。2022年6月14日

 

[付記]2022年6月14日。

 

 

 

[追記 東京大学名誉教授 酒井秀夫先生の指導文]

[指導を受けたブログ名:□ 椎野潤(新)ブログ(426) 林産複合体企業を目指せ〜港湾から森林へ生産場所の遷都(その1) 2022年6月10日

 

文月恵理様

 

ブログ配信ありがとうございます。

 

20世紀は分業化の世紀だったかもしれません。農畜林一体だった山村では、それぞれが効率化を求めていきました。農業は農薬と化学肥料で生産性をあげました。林業は農業から離れ、機械化を推し進めていきました。その弊害が出始めて、21世紀に再び結合しようとしています。塩地さんは、大量消費の時代にあって物量を追い求める港湾型供給体制から、分業された機能を集約した、情報を背景とする供給体制への転換を唱えておられます。情報は無駄を排します。当然二酸化炭素排出は最小限になります。材木は海からでなく、山からとする生産体制とすることにより、山林価格も上がると思います。このことは今まで掛け声ばかりだったとして、塩地さんの戦いが始まりました。

 

酒井秀夫

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