2024 年頭にあたって 塾頭 酒井秀夫

□ 椎野潤ブログ (塾頭 酒井秀夫 年頭所感)

年が明け、気持ちも新たに新年をお迎えのことと思います。例年ですと祝辞を述べるべきかもしれませんが、世界では戦争状態を抱えたままの年明けとなり、多くの方が厳しい状況にさらされていると思うと他人事ではないような気がいたします。旧年中はこのブログで毎回、他では読めないような時代を先取りした情報を発信していただきました。おかげで、他の情報も深読みしながら接することができました。厚くお礼申し上げます。

気候変動や世界の人口増加の中で、森林の役割が益々重要になってきました。近年は持続可能性に加えて生物多様性の観点からも森林の経営管理が問われるようになりました。持続可能性と生物多様性は今に始まったことではなく、1992年のリオデジャネイロで開催された地球サミットですでに声明として採択されています。この新たな世界の枠組みに沿って、各国は森林法の改正を行いました。ここで注目すべきことは、林業関係者だけでなく、消費者や環境運動家なども政策参加できるようにしたことです。

戦後から育成してきた森林が主伐期を迎えるようになりました。昭和30年代のまだモノクロの日本映画を見ると、背景の山々はほとんどがハゲ山です。ようやく日本列島に緑が戻ってきました。林業従事者が40万人おられた昭和35年頃は、植林や下刈りも可能でしたが、5万人を切った今は同じことはできません。森林所有者、素材生産業者、森林施業プランナー、行政、林業経営者など、林業の当事者によって森林の捉え方は様々であると思いますが、これから日本の人口減、林業従事者不足を考えると、関係各位が未来の姿に向って意思疎通することが益々重要になってきていると思います。答えは一つではなく、地域や社会の変化によっても変わっていくと思いますが、政策が地域で機能するためには、意見交換の場、すなわちプラットフォームを機能させ、議論を沸騰させることが重要ではないかと思います。

森林が高齢化して、間伐から主伐再造林に軸足が移ろうとしていますが、主伐には皆伐と択伐があります。皆伐が収奪林業と同じになってしまうと、その後栄えた企業は世界中見回しても存在しません。択伐は、成長量分を回帰年ごとに収穫するもので、いわば元本そのままに利息を受け取るイメージですが、成長量の2割以下しか伐採していない日本の現状では、今まで間伐に利用してきた路網を活用して、列状間伐の繰り返しや択伐の選択の余地が大いにあると思います。択伐は天然更新ができなければ補植が必要ですが、天然更新ができれば「植えない林業」を実現することができます。ドイツのカール・ガイヤーは、それまで効率的と思われていた育成単層林を反省して、将来の発展の不確実性と環境リスクに対処できるようにするためには、生態学的に望ましい針広混交林によってのみ提供できるということを1886年に『混交林』という著書の中で指摘しました。仮に混交林の収益性が低下したとしても、リスクを大幅に軽減、回避することができるとしています。地球温暖化が顕在化した今、ガイヤーの思想が注目されています(T. Knokeら(2005)Mixed forests reconsidered)。

昨年を振り返り、全国津々浦々の木々が、1本の例外もなく年輪をひとつ増やしました。日本に森林があるのはありがたいことです。これからの林業は、いろいろな選択肢やシナリオが生まれ、劇場化していくと思うとおもしろくなってきました。私たちの健康な生活にとっても森林は不可欠です。皆で森林に行き、森林が発するオーラ、エネルギーを浴びましょう。本年もよろしくお願いいたします。

(2024年元旦)

追記

一年の計は元旦にありということで、この稿を書き終えたときに緊急地震速報として能登の地震が報じられました。被災された方に心よりお見舞い申し上げます。

椎野潤先生は先導者として様々な視点で未来を照らしてこられました。10年先はいまの延長である程度予測ができるし、100年先はまったく予測がつかないが、50年先の予測が一番むずかしいと常々仰っておられます。上記の拙文は今日、明日ということではなく、ましてや50年先を見据えたものでもありませんが、不確実性が増してきた今、せめて2050年までのご参考になれば幸いです。

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