林業政策

椎野潤ブログ(金融研究会第八回) 林業政策

文責:角花菊次郎

愛知県豊田市は「第4次森づくり基本計画」を策定し、森づくり団地化などを進め、過密人工林解消に向けた取組を強化していくとの記事がありました(日刊木材新聞:2023/4/19)。また、今後の森林管理のあり方、利用間伐適地の設定、近隣地域への地域材の展開、森づくり人材育成機関の設置、企業による森づくりの推進など新たな課題にも取り組むそうです。

地域の林業を支えるため、全国の自治体は大変なご努力をされているのだろうと思います。

しかし、林業政策は難しいものだと改めて考えさせられます。どこまでプライベートに任せるか、パブリックがどこまで介入すればいいのか。

林業は木材生産に係る産業という位置づけに留まらず、日本の森林生態系を守り、日本人の精神文化の土台となる森林を維持する重要な役割を担っています。したがって、儲かるか否かを唯一の判断基準とする商業的市場に林業の行く末を任せてはおけないので難しい問題になるのだと思います。

ここで少し経済について考えてみたいと思います。経済学にはどのような事象にも当てはまる普遍的な法則というものはありません。因果関係を説明する一般的で抽象的な理論はありますが、具体的な経済活動はその国の制度や慣習、国民性や共有する文化のなかで行われます。では経済学は何について探求しているかと言えば、それは「国力」ないし「国益」についてだ、ということもできそうです。

経済的な観点からの「国力」とは、高い生産効率と国民の高い生活水準だと見なされます。ただ、生産効率はまだしも、生活水準の高さなど単純に定義できるものではありません。したがって、「国力」の具体的な内容は多義的となり、「国力」向上へ向けた経済政策も一律というわけにはいきません。

経済学の大きなテーマの一つに、市場を自由放任に任せる「自由主義」と政府が市場に介入し特定の産業や企業を保護する「介入主義・保護主義」の対立があります。18世紀、イギリスのアダム・スミスは単純な重商主義(輸出産業の競争力を上げ、金融市場を自由化して資本を導入するといった国家的政策)には反対でしたが、「事物の自然の秩序」に即した「自由な経済活動」という意味での自由主義経済論を主張しました。一方、19世紀、ドイツのフリードリッヒ・リストは、スミスの自由貿易論を批判し、大切なことは国籍を超えた世界主義的な抽象論ではなく、国民の利益を実現するその国の実情に即した政治経済学なのだと主張しました。当時のドイツは後進国であり、保護主義政策を擁護する論陣を張ったのです。つまり、「国力」をめぐる経済の課題は、個々の経済主体が国を飛び越え、いきなり世界とつながるところにあるのではなく、世界と個々の経済主体とをつなぐ「国」のレベルにこそある、そしてその課題はそれぞれの国の歴史や発展段階によって異なると説明しています。

日本の林業政策を考える視点もまさしくリストが主張するように「国力」や「国益」に基づく経済学であり、グローバル経済といった抽象的な一般論ではなく、特定の「国」の事情によって定義されるものでなければなりません。

例えば、林業に投入される補助金についても絶えずパブリックとプライベートのバランスを考え、柔軟に設計していくべきです。自由貿易が日本の生き残るための必須条件だとしても、日本の森林を守るためには木材輸入関税について今一度考えてみるべきかもしれません。

すべては「国力」や「国益」の観点で林業政策を推進していく必要がありそうです。

以 上

まとめ 「塾頭の一言」 酒井秀夫

林業政策はどこまでプライベートに任せるか、パブリックがどこまで介入すればいいのか、儲かるか否かだけで林業の行く末を任せてよいのか、「国力」や「国益」の観点で林業政策を推進していく必要があるのではないかという問題提起です。

森林は所有者がいますが、国民全体の総有でもあります。森林があることによって公益的機能が発揮され、流れ出る水は米や水産物を育み、日本独特の文化と「高い生活水準」、「国力」を創出してきました。

国の経済が良いときはグローバル経済をうたって海外に打って出ていきましたが、天然資源が戦略物資になり、国家主義が台頭してくると、グローバル経済に亀裂が走ります。海外に頼らなくても済むような発明や開発をしたり、ライフスタイルを変えていくようになります。国の未来に対する戦略的視点に立って、プライベートとパブリックのバランスを効果的にとっていく必要があると思います。

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