「市場経済と国産材」

椎野潤ブログ(金融研究会第三回) 「市場経済と国産材」

文責:角花菊次郎

ウッドショック。世界的な木材需要の拡大と物流の逼迫によってもたらされた木材不足と価格の高騰は、昨年の秋頃を境にピークアウトしつつあるようです。今や輸入材の調達に支障はなく、在庫増で荷動きが停滞気味と聞きます。木材はコモディティー(市況商品)になってしまい、世界貿易における需給関係で価格が決められてしまうのが現状です。期待とは裏腹に、いずれ木材価格はウッドショックの影響が出始めた2021年3月以前の水準まで下がってしまうのでしょうか。

木材価格の変動、貿易品としての木材ということを考える時、「市場経済」の捉え方について少し深掘りしてみることが必要になりそうです。

市場経済には統一的な原理原則があると考えがちですが、経済史的には少し違うようです。例えば、カール・ポラニー(1886-1964)というウィーン出身の経済学者は経済を「交換(市場)の経済」と「生活の経済」の2層に区分しました。「交換の経済」とは、効率性を追求し、需要と供給の関係で価格が形成される経済。「生活の経済」とは、効率性の追求よりも生活の安定を追求し、生活の安定が保障されるような安定価格が形成される経済、と説明します。市場経済万能主義を批判的に捉え、市場には2つのプライス・メカニズムがあると主張しています。

一方、フランスの歴史学者であるフェルナン・ブローデル(1902-1985)は、さらに経済を3つの層に分けて考えます。第1の層は「資本主義」、第2の層は「市場経済」、第3の層は「物質文明(物質的生活)」。ブローデルはポラニーの「交換の経済」を資本主義と市場経済に峻別して説明します。「市場経済」が国民生活を維持し、必要品を提供するメカニズムであるのに対し、「資本主義」は国境を越えた商業・金融活動であり、国家はその活動をコントロールできず、市場経済や物質文明の拘束を打ち破る力を持つと捉えます。そして「物質文明」はわたしたちの社会構造や文化に深く関わっており、その経済は長い歴史の中で急な変化はせず、自給自足、貨幣的交換の不在、狭小な経済活動、緊密な人間関係、慣習の支配、ゆったりとした時間の流れ、自然や大地との近接、などが継続するものと説明します。

国産材の価格は、市場経済の視点だけでは捉えられない時代です。木材はコモディティーとして世界貿易の価格体系に組み込まれています。そして世界貿易は資本主義活動の一環として国家による統制の外にあります。では、わが国の森林、そこから産出される木材を資本主義が支配する市場経済の中でどのように位置づけていけばよいのでしょうか。

今後、国産材の生産者は、「資本主義・市場経済」の荒波に漕ぎ出すだけではなく、「物質文明」を支える最も重要な資源を供給する立場にあることも考え、嵐をやり過ごす避難港の整備を進めていく必要がありそうです。

以 上

まとめ 「塾頭の一言」 本郷浩二

価格は需要と供給のバランスで決まると言いますね。その需要にも二通りあるということだと思っています。生命の維持、生活に必須の需要(衣、食、住、エネルギー)と必須の物ではない需要です。前者は必須ですから価格の安定を社会が求めます。安定しなければ暴動等が起きます。ただし、その社会の価格変動の許容度は地域性(自然条件、共同体の歴史、人口、現状の充足度など)によって異なるように思います。一方、後者については、価格は需要と供給のバランスにより価格が概ね決まります。ただし、それを支えているのが人や物の運送の基盤と情報通信の基盤であり、その使い方で、需要と供給のバランスを不安定に動かすこともできてしまいます。

木材は住の面で必須の需要でしたが、今では、日本という地域社会では必須のモノではなくなるとともに、資本主義の洗礼も受けてきたモノでしょう。需要を刺激し、供給を地域社会、国境、大陸を超えてモノを移動することで叶えようとするのが資本主義の姿です。

国産材は、運送の基盤と情報通信の基盤を整備し、これを安定した拠り所(これが避難港の意味かもしれません)にして、バランスを崩すことのない、需要に応じた適切な供給を叶えていくことが大切だと思います。

 

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