□ 椎野潤ブログ(堀澤研究会第1回) 森林組合の行方―林業サプライチェーンの実現に向けて「吉野林業があるじゃないか!」
堀澤正彦
椎野ブログ筆者の一員に復活して7回の連載を終えました。ところが、思いがけず定期投稿筆者の一人としてしばらく書き続けることになりました。ブログ運営の基盤である椎野塾の不登校を繰り返す私が退学にならぬようにとの温情のようですがどうなることやら。
さて、メインタイトルは「森林組合の行方林-業サプライチェーンの実現に向けて」で続けようと思っています。そして、今回のお題は「吉野林業があるじゃないか!」。訝る向きあろうかと思いますが、吉野林業に林業サプライチェーンにむけた一つの解があると私は信じています。
まずは、奈良県webサイトに掲載の吉野林業パンフレット(*1)から抜粋した吉野林業の沿革をご覧ください。
吉野林業の歴史は古く、室町時代末期(1500年頃)に造林が川上村で行われた記録がある。一般に吉野の材が多量に搬出されるようになったのは、豊臣秀吉が大阪城や伏見城の建設を開始するなど、畿内の城郭建築、神社仏閣の用材としての需要が増加し始めた頃からである。その後、江戸時代には幕府の直轄領となった。また江戸中期以降は酒樽に用いる木材である樽丸の生産が盛んになった。
こうした木材需要の増加に伴う生産供給の増加は山地の森林資源を減少させ、そこに造林の必要性を生じさせた。また吉野地方は山地が大半を占め耕地に乏しいことから、森林資源を維持培養し木材の販売で生活するほかなかった。しかしその伐出生産の過程では利益を得ることが少ない反面、村に課せられる貢租は高く、一般村民には資本を蓄積する余裕はなかった。村としては租税の支払に窮し、郷内の有力者に林地を売却、また造林能力のある者にこれを貸し付けることによって造林を維持・促進させることを図った。しかし山村の住民にはこの造林地を維持する資力に欠けていたため、元禄年間(1700年)頃から吉野地方の商業の中心地であった下市・上市及び大和平野方面の商業資本の消費貸付を通じて借地林が発生、その中で外部の山林所有者が現地の住民に山林の管理を委ねる山守制度が発達し森林管理が行われてきた。
同パンフレットにさらに詳しく記載がありますが、吉野林業は森林の生育度合いや社会情勢に応じて需給体制(サプライチェーン)を構築してきたことをうかがい知ることができます。さらには、森林所有を外部に求めてまでも、経営資本を維持してきたことから生まれた山守制度はとても興味深い制度です。
もちろん、近年の森林林業が置かれた状況に苦慮していることは明白ですが、所有、経営意欲を喪失した森林所有者が増大する今、吉野林業に大きなヒントがあることを信じて疑いません。
かつて訪れてから15年以上経ちました。
吉野林業があるじゃないか!もう一度学び直したい。
(*1)吉野林業パンフレット yoshinoringyou.pdf (pref.nara.jp)
☆まとめ 「塾頭の一言」 本郷浩二
これからの林業のあり様を考えるときに重要なのは収益です。何を出口にするかというマーケティングが大事だと思います。酒井先生はディマンドチェーンという言葉を使われますが、私もそのように出口からチェーンを考えて供給することが大事だと思っています。
森林は履歴によって成り立っていて、今この時に簡単にその内容を変えることはできません。どのような出口を構築することが、その資源から持続的かつ有利に収益を上げられるかを追求してください。農業のように来年は違う作物を栽培しようということはできません。収入から考えるときに、その意味ではプロダクツアウトの事業なのです。木材、その他産物、環境と収益を上げられるものの選択肢は色々ありますが、森林自体は変えたくても徐々にしか変えられません。ですから出口を構築するマーケティングしか利益を拡大する術はありません。
現在及び今後の木材生産を目的とする林業は、長い間の育成期間の中で森林整備が停滞して、十分な手入れがされず良い山が作られなかった結果の資源をどう使ってもらえるかを考えなければならないところに大きな課題があります。ですから、私自身はいわゆる吉野林業をあまり関心をもって見て来ませんでした。関心を強くしたのは、丈夫で高密な作業道を入れて、間伐による木材生産を活性化しようという活動が広まってからでしょうか。それでも、吉野の林業家の山の木は、他の地域よりもよく手入れされています。しかし、昔のように吉野林業の木が一番だと言って高値で買ってくださる樽丸のような需要は細っています。その手入れの歴史に見合うだけの価値をマーケティングで切り開かなければなりません。そのマーケティングができている人が少ないのが今の吉野ではないかと勝手に想像しています。
吉野の周りにも戦後の拡大造林地があります。こちらの現状の方が、一般的な全国の森林に近いのではないしょうか。こちらでは、一般的な木材を製材する事業者がいないなどの吉野の栄華の歴史が、これらの出口を構築するのを難しくしているところがあるように思っています。
吉野の林業をヒントにしようとするとき、このようなこともちょっと気にかけて、学んで欲しいと思います。そして、吉野をよく知らない私にも、ぜひ、吉野林業から学び、ヒントに使えそうだと思ったところを教えてください。