木造大型パネル工場で働く①入社のきっかけ

□ 椎野潤ブログ(塩地研究会第25回)  木造大型パネル工場で働く①入社のきっかけ
読者の皆様、初めまして。
モック株式会社千葉工場で木造大型パネルの生産に携わっている岡沢由衣と申します。紆余曲折しながら大型パネルの生産スタッフへと辿り着き、椎野ブログ図書館へ記事を投稿する運びとなりました。工場の一工員ではありますが、このような機会を頂き嬉しく思います。モック株式会社の本社は埼玉県八潮市にあり、プレカット・住宅資材の販売を行なう会社です。グループ会社に紀州材を植林からプレカットまで一貫生産を行なう、株式会社山長商店(和歌山県田辺市)があります。
2022年の7月、千葉県千葉市に山長商店の紀州材を使用した木造大型パネルの工場が立ち上がりました。私はこの工場の立ち上げをきっかけにモックに入社し、現在は、営業1名、工員4名で大型パネルの生産・販売を行なっています。初回は“私がモック株式会社・木造大型パネル生産工場と出会うまで”ついてお話させて頂きます。
子供の頃から身体を動かすことが好きで、数年前まではマラソン、駅伝、陸上競技に取り組んでいました。無の境地、“ランナーズハイ”を求めて走っていましたが、怪我が絶えず、中学・高校生の頃は接骨院へ通う日々でした。当時は分からなかったですが、今思えば、体を作っている材料=食生活が大きく影響していたと感じています。後輩の精神的な支えになったり、自身の経験を伝えたりしたいと思い、体育大学へ進学して体育教諭になることも考え、その旨、尊敬している体育教諭であり陸上競技部の顧問でもある先生に相談しました。体育教諭は人気職種で職に就けるか分からない時代、体育大学を卒業しても体育教諭くらいしか道はないので進学は勧められないと言われました。その助言を受け、身体と心を支えられる接骨院の先生になることを決意し、国家資格である柔道整復師の免許を取得しました。
今は増えてきていますが、当時は女性の柔道整復師は珍しく、1クラスに女性は数名でした。柔道整復師とは骨折、脱臼の整復や固定、捻挫、挫傷の固定、リハビリがメインの仕事です。力仕事、徒弟制度、独立(開業)、休みが少ない、拘束時間が長いなど女性が働きにくい職種の一つです。身体と心を壊しては転職を繰り返し、接骨院、スポーツトレーナー、整形外科、デイサービスへと働きやすい環境へ移って行きました。
デイサービスで機能訓練指導員として働きながら、休日はお手伝いでDIYや住宅リフォームを行なっていました。木工事、造作、板金加工、塗装、クロス貼り、ハウスクリーニング、左官、土間工事、網戸襖工事、解体等、様々な事を経験してきました。その中で楽しかったのは、木工事と造作です。頭と身体を使いながら、試行錯誤しながら、失敗を繰り返しながら組み上げていく。木の匂いに包まれながら組み上げていく過程は“ランナーズハイ”の様な無の境地に入り込みます。黙々と作業することが心地よく、作り上げたものを見ては達成感や感動に浸りました。
医療介護業界から離れた理由は3つあります。一つ目は化学物質過敏症になり、体調を崩し、生命の危機を感じた事。二つ目は自分のやっている事に誇りが持てなくなった事。治療、施術、投薬、注射、手術等、熱心に加療されている方を沢山診てきましたが、副作用により身体がおかしくなったり、病気が悪化したりする姿を見て、リハビリを始め、西洋医学自体に不信感を抱いてしまったのだと思います。三つ目は何か新しいことを勉強したい、身に付けたいという気持ちがずっとあったという事。
身体のこともあり、少人数で行なう仕事、換気の行き届いた環境、出来れば木材と関わる仕事はないかと探していたところに、たまたまモックの工場の立ち上げの求人を見て、仕事内容をよく分かっていないままご縁を頂き採用が決まりました。研修・生産が始まって初めて、なんかよく分からないけど凄い仕事に就いた、と驚いたものです。こうして私はモック千葉工場にて建築の仕事、木造大型パネルの生産を行なうことになりました。
次回は“女性でも木造躯体を作れる工場”について書いていきます。

☆まとめ 「塾頭の一言」 酒井秀夫
岡沢様、はじめまして。
3回の連載で、今回はモック株式会社・木造大型パネル生産工場と出会うまでの紹介です。モック株式会社(以下、モック)は、ホームページを拝見しますと、「木」と「建築」の専門家集団で、工務店の可能性をひろげる工務店のパートナーとあります。
4月は入学や入社の季節ですが、本当は何をしたいのかわからずに自分さがしで悩んでいる方も少なからずおられるのではと思います。岡沢さんは、モックに出会うまで、柔道整復師の国家資格を取得されたり、デイサービスで機能訓練指導員として働きながら、住宅リフォームを手伝ったりしておられました。様々な事を経験してきた中で、木工事と造作が一番楽しかったとのことで、たまたまモックの工場の求人に巡り会い、採用が決まりました。「なんかよく分からないけど凄い仕事に就いた」とのことですが、よく分からなくても全身で受け止めておられ、これも身体を動かすのがお好きで、“ランナーズハイ”の境地を目指して心身を鍛練してこられたこととも関係しているのではと思います。
このブログを主宰しておられる椎野潤先生は、内村鑑三の『後世への最大遺物』を絶賛しておられます。明治37年の講演ですが、今なお文庫本で読み継がれています。黙々と作業することが心地よいとのことですが、まさに内村の説く「勇ましく高尚な生涯」で、天職ではないでしょうか。一般論として、天職が見つからなくても続けていけば天職になります。木の匂いに包まれた職場は現代社会にあっては恵まれた環境です。後世に遺るお仕事を応援しています。

 

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