ドローンToハウジングの実践から見えたもの③信州カラマツを活かした建築の底力 

椎野潤ブログ(塩地研究会第16回) ドローンToハウジングの実践から見えたもの③信州カラマツを活かした建築の底力

文責:文月恵理

2023年5月、カラマツは木島平の山から伐り出され、地域でカラマツを専門に扱う製材工場に運ばれました。カラマツは、乾燥した後も曲がったり反ったりすることが多いとされ、昔の文献には「悪木」という記載さえあります。一方で、強度が高く、木目の美しさは格別です。柱や羽柄材に使うこともできなくはありませんが、固すぎて釘打ちが難しく、今回は主に梁桁として使う想定です。製材工場の社長と打ち合わせし、芯を外して中心から二つに割る、二丁取りという方法で加工しました。カラマツがスギやヒノキと大きく異なるのは乾燥後の養生期間で、二か月は必要だそうです。スギなどの場合、乾燥後すぐ、長くても一週間程度でモルダー(仕上げ機)にかけますが、カラマツは乾燥後も大きく狂うことがあるので、二か月は養生するとのことでした。事前の打ち合わせでそのことがわかり、3月の入居予定に間に合うかと心配しましたが、工務店は何とか工期を調整してくれました。

前回の報告で述べたように、木島平で採材した木材は最初から予定数より不足しています。その分は、この製材所が市場から仕入れて加工している材で補ってもらいました。戦後の拡大造林期、長野では盛んにカラマツが植えられましたが、時には粗悪な苗が出回ったこともあり、品質のバラツキが大きいようです。この製材所は市場に依頼し、ある特定の地域の北斜面に生えていた材を指定して仕入れていました。目利きである専務さんは、他地域の材が混じっていると、すぐに市場にクレームを入れるそうです。

製材はこの工場でできましたが、困ったのはプレカットです。カラマツの無垢材、しかも金物工法と聞くと、予定していた県内の工場からは、何があっても保障を要求しない旨の誓約書を求められました。それでは任せる訳にいかないので、ウッドステーションの提案で、新潟にある金物メーカーに打診をしました。その事業者は自社の金物を使うプレカット工場を経営しています。彼らは自分達の技術を確かめ、その性能を証明するために、リスクを取って引き受けてくれたのでしょう。

製材所からカラマツの梁桁が新潟に運ばれる日、製材所にはここまで関わって来た信州大学の院生や工務店の社長の他に、プレカット工場の担当者も検品に来ていました。自分達の目で見て無理だと思った材は受け入れない、引き取った以上は必ず加工をやり遂げる、そんな責任感のバトンが、製材からプレカットに渡されたのです。

ここからは何の問題もなく、カラマツはプレカット工場で金物を取り付けられ、沼田にある大型パネル工場に運ばれました。そして予定どおりにパネルに組み立てられ、11月の9日に一棟、雨天のため一日おいて11日に一棟が、松本市内の敷地に並んで建てられました。木島平から伐り出されて残った7本の材は、どこに使われているか建築図面上で確認できます。特にそのうちの一本は、二棟目の住宅のリビングに梁として表しで使われ、美しい木目が入居者に森の恵みを感じさせることでしょう。

伐採跡地には、ホロレンズを使った植栽補助技術で新しいカラマツの苗木が植えられています。それが育って森になったら、工務店の社長はいつか、住む人に自分の家の故郷を訪ねる旅を勧めるかもしれません。

誰もやったことの無い、リモートセンシングで得たカラマツの資源情報を設計図書とマッチングさせる試み、そして使える材が大幅に減っても、通常の事業者が尻込みするカラマツの無垢材を使った金物工法で、予定どおりに住宅を完成させた対応力の凄さ。実は工務店も、施工後にカラマツが多少動くことがあってもいいように、断熱材の質や充填方法、他の部材との組み合わせを丁寧に計算して設計しています。このように見てくると改めて感じるのは、住宅産業の持つ技術や人材の厚みがいかに大きいかということです。厳しい競争の中で、多くの関連産業に跨り、施主に直接対峙する、言い訳の通用しない世界で磨かれてきたものなのでしょう。

では林業界がそこに伍していくためにはどうしたらいいのでしょうか。次回はそれについて考えてみます。

 

 

まとめ 「塾頭の一言」 本郷浩二

お疲れ様でした。

今の時代に木材を使うことのたいへんさを感じられたかと思います。

昔から、建物を作る際には、木材を使うことは大工の技術に依存していました。木目(年輪)に対し、垂直方向と接戦方向に組織の異方性を持つ木材は、乾燥により、この二方向に収縮の度合いが異なって断面の形が歪みますし、板や矩形断面の材に製材したときには反ったり曲がったりします。木表、木裏という材の向きによって外力に対応する応力の強さにも方向で違いを生じます。生きていたときの木の上下は、製材しても上下方向の違いで応力の強さに大きな差が出てきます。生きて立っているときに曲がって育った木の繊維は真っ直ぐ製材したときに、曲がりの方向に集中してその繊維が切られてしまい、そのために乾燥するとやっぱり曲がります。このため、曲がった丸太は品質が劣るものとして流通してきました。木材は生物資材ですから、この乾燥収縮や強さに向きとバラツキがあり、使う際に留意が必要になります。この個々の木の性質を見極めて木取りをし、適材適所に使うことができたのが製材と大工の技術でした。

木材を使うことは、(温度)収縮や強さの向きやバラツキが少ない安定した素材である鉄などに比べて、一定の質に揃えることが難しかったため、近代の木造建築に関する技術はそのバラツキを揃える方向に進んできたのだろうと思います。不特定多数の需用者(消費者)にしっかり向き合うために。つまり、需用者が求めてきたことに対応してきた結果です。

とにかく、建築の技術水準はそのようにして、鉄やコンクリートなどの素材と伍して、需用者の求めに応じるために維持向上されてきています。普通の人がついていけないところまで進んでいるので、様々な機械やコンピュータ類に頼らざるを得ない状況です。

森林・林業の世界は、自然の中のバラツキの大きい樹木を相手にしているため、厳密な意味で需用者の求めに応じた木材を生産することが困難です。それをやろうとしても使えないものばかりが生まれて(歩留まりが悪くなって)しょうがないということで、大まかな目標に向けて育てて生産したバラツキのある木材を、程度に差こそあれ、あとは建築などで使う人が上手に(適材適所で)使ってくださいと提供してきました。程度の厳密さが高いところほど優良林業(地)とされてきたのだと思います。このような林業(地)では、そのために高度の技術体系と労働集約な施業を形成していましたが、世の中の太宗の建築材料の需用者の求め(安定品質、安定供給)とのギャップに苦しみ、業として人材育成と技術の継承が課題となっています。

今、この国の森林・林業は、木が使われない時代を長く過ごしてきた期間を一足飛びに飛び越えて、様々な機械やコンピュータ類も駆使して、他の素材と伍して太宗の需用者の求めに厳密に対応していかなければならない時代に否応なく飛び込むことになるのです。

もちろん、そんなことを求めていない多様な需用者に対応していく手法を選択することはできます。しかし、日本全国の森林・林業を活かしていくためには、量の大きな求めに対応していく道を切り開かなければなりません。そのことを目指すのが今必要なことになっていると思います。

集中や標準化ではなく、多様性のある経済のあり方を示すことが、いずれ訪れるこの国の新しい資本主義であれば良いのですが、あまり期待しないで、しっかり今に取り組んでまいりましょう。次回のお話に期待しています。

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