大谷恵理ブログ「林業再生と山村振興]大型パネル事業が導く林業再生(その1)佐伯広域森林組合の成長の軌跡と新たな展望

☆巻頭の一言

畏友、塩地博文さんの教え子、大谷恵理さんに、私は、今、椎野塾事務局長をお願いしております。このたび、塩地さんが育て上げられた、九州大分県の佐伯広域森林組合の調査を委嘱しました。素晴らしい論文が届きました。椎野潤ブロクに掲載させていただきます。これを椎野潤ブログの読者に、読んでいただくのは、この上ない喜びです。 (椎野 潤記)

 

林業再生・山村振興への一言(再開)

 

2020年12月(№165)

 

椎野潤(続)ブログ(376) 大型パネル事業が導く林業再生(その1)佐伯広域森林組合の成長の軌跡と新たな展望 2021年12月14日

 

☆前書き

今日は、佐伯広域森林組合の成長の軌跡と新たな展望についてお話しいただきます。

 

☆引用

大谷理恵ブログ 大型パネル事業が導く林業再生(その1)佐伯広域森林組合の成長の軌跡と新たな展望 2021年11月29日。

文責 大谷恵理 監修 塩地博文

 

[100%再増造林実施]トンネルを抜けた時、「ここから佐伯広域森林組合の管理区域ですよ」との声に、私は眼前に広がった風景に目を凝らしました。すると、山の中腹から裾野にかけて拡がる三角形の伐採跡地がいくつも目に飛び込んできました。そこには植えたばかりで芥子粒ほどにしか見えない苗の区画もあれば、既に杉の特徴的な樹形を持つ若木が並ぶ区域まで、様々な造林地がありました。驚いたのは、森林組合の事務所に着くまでの20分の間、目にした数十か所の全てに、苗木が植えられ、瑞々しい枝を伸ばしていたことです。唯一、植えられていない場所は、つい先日まで伐採をしていて、これから植える予定との処でした。

「うちは100%再造林しています。」佐伯広域森林組合参事の今山氏に、以前から聞かされていました。でも、どこまで本当なのか、私は信じがたい思いを抱いていたのです。林業白書には、全国の再造林率は4割に満たないと書いてありました。また、例え植えても、自然条件による枯死、ウサギやシカの食害などのため、生産林として成立する状態には程遠い箇所が多いのです。それを見越して、最初から再造林を行わない事業者も少なくないのです。

なぜ佐伯は100%の再造林ができるのか、実はそこに佐伯広域森林組合の急成長の鍵が隠されているのです。それをお話しする前に、この組合のここ十数年の出来事を振り返ります。

 

[佐伯広域森林組合の発足] 1990年(平成2年)に佐伯市を含む6森林組合が合併し、佐伯広域森林組合が発足しました。戦後の拡大造林で植えられた木が伐期を迎え、そこに付加価値を付けて販売し、「伐って・使って・植えて育てる―佐伯型循環林業」を実践しようと、組合は2009年(平成21年)に思い切った投資を行い、大型の製材工場を稼働させました。生産が始まったものの、販売先の開拓は容易ではなく、助けを求めたのが、大分出身で、当時三菱商事建材におられた塩地博文氏(ウッドステーション社長)でした。

氏は単なる同郷のよしみでビジネスに関わるほど甘くないと、一度は依頼を断ったそうですが、今山氏らの熱意に押され、毎月のように佐伯に通い、商品開発や販路開拓を指導します。

その後、大手住宅メーカーの中でもいち早く国産材利用に舵を切ったTホームとの取引が始まり、組合は順調に売り上げを伸ばしていきます。しかし一方で、全国規模の住宅会社との取引は輸送コストがかかる上、量を背景とした値下げ要求に晒され続けるという課題にも直面します。更に、2013年(平成25年)には、直線距離で55キロ、車でわずか1時間の宮崎県日向市に、日本で随一の、バイオマス発電も備えた巨大な製材会社の工場ができました。

その工場の生産量は佐伯の5倍、このままではいずれ価格競争に負け、立木の買い付けができなくなる恐れがあります。その上、日本の木材の販売単価は下がり続け、再造林に回せる利益は減っていく一方でした。組合長の戸高氏は、塩地氏に対し、「木材を高く売る方法を考えて欲しい」と頼み込みました。

普通なら商人は安く買い、高く売りたいもの。その常識を無視した、しかし切実な依頼に動かされ、進められた開発が、今の「地域材パネル」へと繋がって行ったのです。

森林組合が製材機を導入する際にも内部で大議論がありました。まして建築の分野にまで進むとは、前代未聞の挑戦です。心配する声もあった中、戸高氏と今山氏はそれを推し進めました。

パネルの製造技術自体は、習得にさほど苦労しなかったのです。でも、困ったのは販売でした。森林組合の、しかも新しい工法の建築など、実績がなければダメとの門前払いの日々が続きました。今山氏は、なぜ売れないのかいう多方面からの圧力に、何度もくじけそうになりました。

そんな苦節4年を経て、今年ようやく、地元の工務店からまとまった棟数の受注がありました。導入の理由は、工務店の下請け業者の技術レベルにバラつきがあり、品質管理が難しいという事でした。大型パネルの特長の一つが、その施工精度の高さです。それを評価して採用して頂けたことは、今山氏をはじめ塩地氏に叱咤され続けた販売の人々、信じて任せてきた組合長の戸高氏にとって、どれほどの喜びであったか、想像に難くありません。更に、ウッドショックによる海外材の品不足も普及を促す契機になりました。全ての建築材料を自前で揃えることができ、安定して供給を任せられる事が、工務店への理解を進めたのです。

 

[積極的な先行投資] その4年の間、大型パネル以外にも、組合では製材の効率化や土場の増設、端材を燃やして乾燥機の熱源に利用するボイラーの導入、苗木の自社生産など、様々な取り組みが進められていました。

今回、同行した人の中には、5年ほど前に来られて、今回が二度目という方がいましたが、「全てが以前より一回り大きくなった感じだ」と仰っています。

今や、年間250,000立方メートルの原木を販売し、その内の110、000立方メートルから製材品50,000立方メートルを生産、高温乾燥機11基と中温乾燥機6基の熱源は工場内の8トンボイラーで全て賄い、チップ40,000トンは製紙会社へ、未利用材チップ55,000トンはバイオマス事業者に販売、常に250ヘクタール分の立木在庫(買い付け済みの立木)を持つという、立派な業績を誇る森林組合となっているのです。

 

このような隆盛は、何によってもたらされたのでしょうか。私は、組合長の戸高氏が掲げ続けた「佐伯型循環林業」の理念と、塩地氏が支援した「人づくり」がその理由だと考えています。

戸高氏は、平成の大合併で佐伯市に統合された村の首長でした。実家が林家だったことから、佐伯広域森林組合の組合長に就任しました。その前から今山氏が進めていた20億円もの大規模製材機の導入を認め、新しい事業に挑戦させつつも、再造林は必ず行うという方針を貫きました。

実は、組合の宇目工場に持ち込まれる材の半分は、別の素材生産業者が山主から買い付けて伐採した木材です。しかし、直属の伐採班の作業面積を含む年間300ヘクタールの全てで、森林組合が再造林を行っています。理由は明らかで、佐伯では、枯れてしまった苗木を組合が全て植え直しているからです。年によって状況が異なりますが、5年に一度程度、自然条件が悪いと、再々造林の費用は一千万円にものぼります。それでも山主さんは、その費用負担はなく生産林を維持する事ができるのです。

 

[互いの理解と尊重 朗らかな声 誇らしい顔 女性の活躍] 伐採後の片づけ方が不適切だと、造林班から指摘され、山主さんは次からその業者に伐採作業を頼まなくなります。ですから、むしろ直属でない業者の方が、丁寧な作業を心掛けるのです。伐採担当者は常に、自分達に仕事が来るのは、造林班の人達がいてこそという意識を持ちます。造林担当者は、伐採してくれる人達がいなければ仕事がありません。そのように、佐伯では山で仕事をする人々の間に互いへの理解と尊重の気持ちが自然に生まれているのです。

 

今回視察して回った各施設では、若い現場責任者が朗らかな声で自分の役職と名前を告げ、首から下げた視察者への説明用マニュアルを見ながら、施設の概要や生産量などについて話してくれました。よく、地方には人材がいないという声を耳にします。確かに彼らは、中学校のクラスでどちらかと言えば教室の授業より体育の時間に存在感を発揮した人達かもしれません。それが佐伯では何と生き生きと、誇らしい顔で働いていることでしょう。人材がいないのではなく、足りないのは相応しい仕事と教育なのだと確信し、熱いものがこみ上げました。

フレキシブルな勤務制度を導入した結果、子育て中の方を含む女性の就労も増えています。一日一万枚の処理能力を持つ高速モルダーの調整を行っていたのも作業服に身を包んだ女性でした。

 

[心惹かれた苗木センター] そして、私が最も心惹かれたのが、廃校を活用した苗木センターです。真の循環林業を目指して、8年前の2013年に始まったのが、自前での苗木生産でした。組合員に声をかけ、副業として取り組みたいという人を集めて組織を作り、試行錯誤してきたのです。

現在流通部長を務める柳井氏は、自らも苗木生産に挑戦しました。そして驚いた事に、「5年間ずっと失敗し続けた」と事も無げに、微笑みながら話されます。そうやって積み重ねたノウハウが実を結び、今では20人の組合員が、年間約20万本のコンテナ苗を生産するまでになりました。1本80円の露地苗に比べて活着率が高く、作業可能な期間が長いコンテナ苗は、1本180円ほどです。

この施設の責任者は、見るからに優しそうな、小柄な男性です。彼の案内で資材置き場になっている体育館を通り抜けると、そこには10棟近いビニールハウスが並び、目の覚めるようなグリーンとオレンジの苗木が一面に育っていました。伺うと、オレンジ色は肥料を少なめにしたせいで、早く紅葉しているのです。ポリエチレン製の波状のシートを巻いて筒にし、培土を充填したMスターコンテナという製法で、そこに母樹から採取した穂先を挿し木します。出荷直前の苗は高さ35センチほどに伸び、これから山腹の造林地に移植されるのを待っていました。ここで愛情を込めて育てられたからこそ、風雨や夏の暑さに耐えて大きな木に育つのです。

体育館のすぐ脇に、採取された穂先をまとめて水につけてある場所がありました。「これはどのくらい水に浸けるのですか?」との問いに、先ほどの責任者は「人によって、取ってすぐ植えるという方もいれば、1か月以上浸水させた方がいいという方もいて、生産者さんそれぞれです」と答えていました。

私は、先ほど資材置き場で見た、ずらりと並んだペットボトルで水耕栽培されている苗を思い出しました。それについて彼は、試しにやってみたのです。根の出方などわかった事もあります」と言っていました。

 

[佐伯広域森林組合 日本全体の素晴らしい見本]普通なら聞き流してしまうような静かな会話。私は、これを通じて、いつしか脳裏に、全体イメージがはっきりと浮かび上がりました。この組合を支える精神の真髄が、人々の日常のさりげない言動に凝縮されているのです。

山の資源を生かしながら、失敗を許し合い、忍耐強くそこから学び、様々な人と、その意思や行動を尊重し、自ら考えて新しい事に挑戦する、それが組織の末端にまで浸透し、ごく自然に行われているのはほとんど奇跡です。これは正に「佐伯スピリット」と呼べるものでした。

塩地氏が突然の病に倒れたと聞き、佐伯の人々が口々に語ったのは、氏に叱られた思い出でした。「叱る」とは、相手のためを思い、厳しく接することです。そして塩地氏はいつも、直接どうしろというのではなく、なぜそうなのか、どうしたらいいのかを自分の頭で考えろと言い続けました。その思いを汲み取った人々が、今の環境を整え、好業績を支えているのです。

 

佐伯広域森林組合、ここで日々達成されている事業、働く人々の姿は、林業・木材業界に留まらず、日本全体にとって素晴らしい手本になるものです。

しかし規模で遠く及ばない多くの組織がどうやってそれを実現するのか、次回はそのヒントをお伝えしたいと思います。 (参考資料1、大谷恵理)。

 

☆まとめ

大谷理恵さんは、女性ならではの優しい言葉で語りかけ、佐伯広域森林組合が成し遂げた産業改革の姿を、実に見事に読者に示してくれました。

(1)佐伯広域森林組合は、育て上げた立木を、ほとんど100%再造林しています。これは日本の林業が、なんとしても、達成したいと願っていた彼岸でした。これを見事に達成しています。

(2)佐伯広域森林組合は、苦しい状況の最中(さなか)において、未来の事業目的の達成を目指して、果敢に高額の先行投資を実施して、歯を食いしばって、その苦難に耐え、これを乗り越えました。これは林業のみでなく、日本の全産業の未来に向けた牽引者が、死力をつくして進めてきた道です。林業再生でも、その先導者が、ついに現れたのです。今、この先導者に学んで、これに追従していく人達が、来るべき未来にむかって、強い努力を始められるように、日本各地の林業者に対して、官民をあげての支援を尽くさねばなりません。

(3)また、近隣に大規模製材工場の新設という一見逆境と思える状況を、佐伯広域森林組合は「地域材パネル」開発の契機としました。これも凄いことです。立ち遅れている産業が起死回生の復活をするには、この激しい闘志が何よりも必要なのです。

 

佐伯広域森林組合では、ごく普通の人々が明るく、真面目に働き、誇りを持てる職場環境が作られています。これは何でもないことのように見えますが、この苦しい復活の中で、人々に希望に満ちた心を生成させてくれています。

苗木センターの柳井流通部長は、「5年間ずっと失敗し続けた」と、ことも無げに微笑みながら話されました。これは、難局を乗り越えてきたチームのリーダーの、不屈の精神と未来への明るい希望の心を、見事に示している姿です。

さらにこれは「再造林は、必ずやり遂げる」と強く決意した戸高会長の崇高とも言える強いリーダーシップの賜物でもありました。そしてさらに、そのリーダーを育て上げた塩地博文さんの叱咤激励も大きかったのです。

また、塩地さんが、重い病魔に倒れたのも、この集団の心に、大きな力を与えました。さらに、コロナの悪魔の襲来も、強い追い風になりました。コロナの悪魔は、それまで常に、改革を阻んで(はばんで)きた「旧来の因習」を、その強力なエネルギーで吹き飛ばしてくれたからです。そこに、林業改革の強力な牽引者が現れたのです。

この度、太谷恵理さんが、これを見事に発掘して、読者の皆さんに、その扉を開いてくれました。それは素晴らしい快事でした。太谷さんの努力に対して、最大限の感謝の辞を述べます。 (椎野 潤記)

 

参考資料

(1)大谷理恵ブログ 大型パネル事業が導く林業再生(その1)佐伯森林組合の成長の軌跡と新たな展望 2021年11月29日。

(2)日本の森林新時代 森林活用期 出発林業〜製材〜家作りサプライチェーン・マネジメント構築 (その1) サプライチェーン・マネジメント構築の先導者 ウッドステーション 2019年1月6日。

(3)日本の森林新時代 森林活用期 出発林業〜製材〜家作りサプライチェーン・マネジメント構築 (その2) サプライチェーン・マネジメント構築の先導者 ウッドステーション(1) ウッドステーションの総合産業計画 プラットフォーム構築 2019年1月12日。

(4)日本の森林新時代 森林活用期 出発林業〜製材〜家作りサプライチェーン・マネジメント構築 (その3) サプライチェーン・マネジメント構築の先導者 ウッドステーション(2) 大工の高齢化と減少、生産者資源枯渇を乗り越えるウッドステーション 2019年1月13日。

(5)日本の森林新時代 森林活用期 出発林業〜製材〜家作りサプライチェーン・マネジメント構築 (その4) サプライチェーン・マネジメント構築の先導者 ウッドステーション(3) 大型パネル工法、その計画と実践 2019年1月20日。

 

[付記]2021年12月14日。

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