岡山県西粟倉村と言えば、市町村合併の大波に抗い、村の森林を生かす独自の構想によって、多くの個性的な人材を集め、常に新たな挑戦をしている自治体として知られています。林業塾の講師として出会った牧大介さんは、この村の「100年の森構想」に自ら関わろうと家族と共に移り住み、2009年10月に「西粟倉 森の学
2008年頃だと思いますが、林業塾の講師をされていた方に声をかけられ、島根県隠岐郡の海士(あま)町に行くことになりました。何をするのかわからず、「面白いことがあるよ」と言われて同行したのですが、後でわかったのは、海士町がその方の勤める会社に調査と提言を依頼していて、私以外の5~6人は仕事、私一人が自
山林から住宅まで、一貫生産を行っている山長グループですが、それでも昨年のウッドショックでは影響を受けない訳にはいかなったそうです。その主な理由は、足りない木材をすぐには山から調達できず、市場で購入していたからでしょう。昔は山に生えている木を購入する前に、一本一本の樹種や太さ・曲がりの程度などを詳
真っ直ぐで目の詰まったA材と呼ばれる良質な丸太に対し、少し曲がっていたり、材質に問題があったりするB材は、手間をかけて製材しても元が取れず、多くは合板工場などに安く買い取られていきます。極力コストを抑えてB材を間柱(柱と柱の間に下地受けなどのために建てる柱)などの製品に加工するために、山長商店で
伐採現場から運び出された木材で比較的良質なものは、山長の本社に近い貯木場に集められます。山長商店と山長林業の、合わせて7つの伐採班が伐り出した材を、熟練の仕分け作業者がフォークリフトに乗り、径級(太さ)や材質ごとに細かく仕訳けてそれぞれの山を作っていくのです。直径が40センチを超えるような太い丸太は
2022年5月上旬、林業と建築のデジタル化で国産材利用拡大を目指す視察団の一員として、私は羽田からの飛行機で南紀白浜空港に降り立ちました。迎えてくださった山長林業・山長商店の皆様の車に分乗し、空港から比較的近い伐採現場に移動します。山長グループは、製材・プレカット加工を行う山長商店を中心に、育林
「祖父が植え、父が育てて、私が届ける」紀州で林業・製材業などを営む山長商店のパンフレットの表紙に記載された言葉です。山長は江戸時代末期から育林事業を始め、6000ヘクタールに及ぶ自社林を保有して、杉・檜の伐採から製材・プレカット・住宅販売まで、一気通貫で事業を手掛ける老舗企業です。長く森林を
このままでは「地に足が着いていない」状態になるのでは? そんな不安を感じていた時に出会ったのが「さんぶ木楽会」です。私はFSCジャパン、文化遺産を未来につなぐ森づくり会議、そのような団体に入会して知見を広め、貢献できる道を探そうとしたのですが、高い理想を掲げて活動する会だけでは、地域に根差した肌感覚
岐阜の林業寺子屋を落第した後、私は自分に合った貢献の仕方は何なのか、模索していました。林業塾がきっかけで入会したFSCジャパンの活動も続けていましたが、もう一つ、速水社長のご縁で関わることになったのが、「文化遺産を未来につなぐ森づくり会議」です。当時は「文化遺産を未来につなぐ有識者会議」という名称で
森を守るため、日本の林業の再生のために、何とか少しでも役に立ちたいと勢い込んで寺子屋セミナーを受講した私ですが、座学は良いとしても、問題は実技でした。その時点で既に40代後半、もともと体が弱く、持ち合わせているのは箱根でのパークボランティアで培った多少の脚力のみです。山道を登るだけなら何とかなっても