CONTENTS

林業ビジターエッセイ-山長グループその1「上棟現場で一目惚れ」

「祖父が植え、父が育てて、私が届ける」紀州で林業・製材業などを営む山長商店のパンフレットの表紙に記載された言葉です。山長は江戸時代末期から育林事業を始め、6000ヘクタールに及ぶ自社林を保有して、杉・檜の伐採から製材・プレカット・住宅販売まで、一気通貫で事業を手掛ける老舗企業です。長く森林を

森を巡る旅-さんぶ木楽会

このままでは「地に足が着いていない」状態になるのでは? そんな不安を感じていた時に出会ったのが「さんぶ木楽会」です。私はFSCジャパン、文化遺産を未来につなぐ森づくり会議、そのような団体に入会して知見を広め、貢献できる道を探そうとしたのですが、高い理想を掲げて活動する会だけでは、地域に根差した肌感覚

森を巡る旅-文化遺産を未来につなぐ森づくり会議

岐阜の林業寺子屋を落第した後、私は自分に合った貢献の仕方は何なのか、模索していました。林業塾がきっかけで入会したFSCジャパンの活動も続けていましたが、もう一つ、速水社長のご縁で関わることになったのが、「文化遺産を未来につなぐ森づくり会議」です。当時は「文化遺産を未来につなぐ有識者会議」という名称で

森を巡る旅-林業寺子屋その3「体力不足で落第」

森を守るため、日本の林業の再生のために、何とか少しでも役に立ちたいと勢い込んで寺子屋セミナーを受講した私ですが、座学は良いとしても、問題は実技でした。その時点で既に40代後半、もともと体が弱く、持ち合わせているのは箱根でのパークボランティアで培った多少の脚力のみです。山道を登るだけなら何とかなっても

森を巡る旅-林業寺子屋その2「藤森隆郎先生との出会い」

岐阜の林業Iターンミーティングで、私は今でも師と仰ぐ方に出会う事ができました。それが森林生態学の藤森隆郎先生です。先生は、気候変動枠組み条約政府間パネル(IPCC)の委員をされ、議長から表彰されたほどの専門家でありながら、地域での小規模なイベントの講師を引き受け、素人相手にも大変分かりやすい説明

森を巡る旅-林業寺子屋その1「郡上八幡でのチェーンソー修行」

林業塾の最終日、速水社長は塾生に一枚のチラシを見せ、「興味がある人は行ってみたら」と仰いました。それは岐阜のNPOが主催する「林業Iターンミーティング」というイベントでした。使命感に燃え、どんな事でも吸収したいと意気込んでいた私は、早速その催しに申し込んだのです。23人の塾生の内、参加したのは私一人

森を巡る旅-速水林業の林業塾その2「FSCジャパン入会」

速水林業の林業塾を受講したことで、もう一つ大きな関りが生まれたのが、「FSCジャパン」です。正式な会の名称は「特定非営利活動法人 日本森林管理協議会」で、速水社長が日本で初めて森のFSC認証を取得したこともあり、森林認証を推進していこうと設立されたばかりの団体でした。FSCは「Forest Stew

森を巡る旅-速水林業の林業塾その1「運命の出会い」

2007年7月に家づくり体験塾を修了した後、私の関心は建築よりも森林・林業に傾いていました。日本中にこれほど森があるのに、どうして住宅のほとんどが外材で建てられるのだろう、その疑問が頭を離れなかったのです。そんな中、書店で一冊の本に出会います。速水林業の現社長、速水亨氏の御父上、速水勉氏の書かれ

森を巡る旅-家づくり体験塾その5「大失敗から学んだもの」

私達が野地板を張った後で、専門の職人さんが屋根を鉄板で葺いてくれました。各地の現場で余ったものを格安で譲り受けたそうで、モザイクのように色とりどりでした。2月には、開口部のサッシやドアの取り付け、外部の壁の下地張りが行われました。ここで私は一生忘れられない大失敗をしたのです。作業分担

森を巡る旅-家づくり体験塾その4「寒風吹きすさぶ野地板張り」

10月に始まった体験塾ですが、回を重ねるごとに参加者同士の絆は深まっていきました。男性が15人、女性が5人くらいだったでしょうか。食事当番は男女とも公平に割り当てられ、その時は仲間と協力して苦手な料理も頑張りました。建築の基礎知識や道具の使い方を学びながら、11月上旬には地鎮祭、コンクリート

TOP