文月ブログ

森を巡る旅-林業寺子屋その3「体力不足で落第」

森を守るため、日本の林業の再生のために、何とか少しでも役に立ちたいと勢い込んで寺子屋セミナーを受講した私ですが、座学は良いとしても、問題は実技でした。その時点で既に40代後半、もともと体が弱く、持ち合わせているのは箱根でのパークボランティアで培った多少の脚力のみです。山道を登るだけなら何とかなっても、重たい道具や装備品を運び上げるなど夢のまた夢でした。
更に、怖がりの私にとって、チェーンソーを扱う事自体、恐怖以外の何物でもありません。それでも、慣れれば怖さも少しずつ減るだろうと、自分を追い込みました。主催するNPOは、林業の労災の多さに対して強い問題意識を持っていたため、教え方も安全に対する注意が最優先です。講師と補助要員が常に見守り、なぜその角度が良いのか、なぜそれをしてはいけないのか、理由をきちんと説明する合理的な指導をしてくれました。
しかし、頭ではわかっていても、体は全く言うことを聞きません。伐倒の基本は、まず受け口という、木を倒したい方向に切り込みを入れる作業から始まります。しかし私の場合、まずチェーンソーを持つ腕が全く安定しないので、細い木をコースターのように水平に切る、これを何十回も繰り返し練習しました。
その後も毎回、ロープをかけて安全に木を倒す方法や、枝払いと玉切り(木材を短く切ること)、チェーンソーのメンテナンス、間伐の際の選木についてなど、様々なカリキュラムを経験しましたが、月に一度の講座では、私の作る受け口の精度は全くと言って良いほど向上しません。唯一、褒められたのが、チェーンソーの目立てでした。やすりを使って5~6時間、表と裏、全ての歯を研ぎ終えた時は、まさかやり遂げるとは思わなかった、出来栄えもまあまあだと認めてもらい、嬉しかったのを覚えています。
このセミナーの最小催行人員は4名でした。主催者は普段は主に素材生産をして生計を立てているので、損益分岐点を超えなければ寺子屋を開催しないのは当然です。しかし私はどうしても受講したくて、他の申し込み者が一人だけと聞いた時には、3人分の受講費を払って開講してもらうこともありました。今から考えると、自分でも呆れるほどのめり込んでいたと思います。
しかし、いくら思いが強くても、林業現場で使い物にならないとしたら、教える側の時間も無駄になります。1年ほど経過したある時、山の上のフィールドに着いた時点で私は足が攣って動けなくなり、講師と助手が杉の枝を重ねて作ってくれたベッドに横たわって、他の参加者の練習を見ているしかありませんでした。その後ついに、「残念ながらあなたの体力は鍛えて何とかなるレベルではない、諦めなさい」と言われてしまったのです。
ショックでしたが、反面、もうチェーンソーを持たなくていいのだとホッとする気持ちもありました。やってみてダメだとわかったのだから、別の方法を考えよう、そう気持ちを切り替えるのに時間はかかりませんでした。

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