文月ブログ

木々に寄せて-その3「檜」

松・杉と来れば、次は当然檜だろうと思いつつ、考えてみると、私には檜に関する思い出があまり無いことに自分でも驚いています。
檜舞台、檜風呂、総檜の家、といった華々しい言葉にあるように、昔から檜は木造建築の花形でした。しかし現在、住宅部材のリストを見ると、土台に使われることが多いようです。強度では米マツなどに劣るものの、湿気や虫には強いので、土台は檜ということになるのでしょう。しかし、建築に表しで使うことを想定し、三方無地の柱が取れるように丹念な枝打ちをしてきた林業家の方々にとっては、本当に残念なことだろうと思います。檜は杉よりも成長に時間がかかることもあり、これまでずっと杉よりも高い値段で取引されてきたのに、最近は価格がほぼ同じになってしまったと、知人も嘆いていました。
残念な話と言えば、檜と聞いて私が思い出すのは、「かかり木」の多さです。特に間伐遅れの林の場合、木の根元を伐っても、普通はまず倒れてくれません。杉林でも起こりますが、檜の方が多かったように記憶しています。杉は日当たりの悪くなった下層の枝が自然に落ちるのですが、檜はそれがなく、枯れた枝が長期間幹に残り続けるからでしょう。木を伐っても、倒したい方向にある周りの木の枝に引っ掛かり、すぐには倒れません。予めロープをかけておき、チルホールなどの牽引機で引っ張るか、根元を玉切りして短くし、幹を下に落とすことで枝から外す方法があります。後者は元玉切りと言って、本体が思わぬ動きをすると避け切れずに怪我をするリスクがあり、林業の公的機関が発行するテキストでも禁止されていました。しかし、ロープをかけて牽引するのは技術も時間も要するので、元玉伐りで処理することは、現場で広く行われていたと思います。林業従事者が集まったイベントで、参加者の一人が普段のやり方を見せてくれたことがありますが、何度も切るのは効率が悪いからと、自分の頭より上の位置で切っていました。さすがに、それを見た人達から、「お前、いつか死ぬぞ」と口々に言われていたので、以後はやめたのではと思いますが。そんな元玉切りによる「かかり木」処理は、ネットで調べると今でもやってはいけない方法とされているようです。ただでさえ多い林業従事者の労働災害を減らすためにも、それに頼らない施業が普通になって欲しいものです。
檜の白く透明感のある木目は、土台や壁の中に押し込めてしまうのは惜しい、と感じます。しかし、最近の木造軸組住宅では、表に出た状態で使うことが減っているようです。耐震性や断熱のために柱を壁の中に入れてしまうことが多いのに加え、もう一つの理由は、施工時にかかる取り扱いの手間でしょう。手の跡などの汚れが付かないよう、細心の注意を払って養生しなくてはなりません。大工さんの減少が深刻な中で、工務店はそのような手間をかけたくないのです。しかし、木造大型パネルならば、作業に適した環境で、短時間で施工できるため、汚れや傷をつけてしまうリスクは最小限に抑えられます。木は住む人が手で触り、その感触や香りを楽しんでこそ価値を実感できるのですから、この技術の普及を契機に、檜も昔の地位を取り戻せるかもしれません。
紀州の森では、スギノアカネトラカミキリという虫が枯れ枝から入り込み、幹を食い荒らす被害が出ていますが、杉はやられていたら全部ダメなのに対し、ヒノキは一定程度の高さまでは大丈夫な場合があると聞きました。杉の方が、枯れ枝は自然に落ちるはずなのに、と思いますが、恐らく杉は放置されていたのに対し、檜は枝が残って死に節になるのを防ぐため、一定の枝打ちをしていたからではないかと想像します。やはり、檜の方が高く売れるという前提もあったのでしょう。
尾鷲で見た、天にも届く勢いで風にそよぐ檜の美林、それらが、何世代もかけて育てた山主さんの熱意に相応しい価格で取引され、建築や木工品として長期間人々に愛されることを、心から願っています。

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