文月ブログ

木々に寄せて-その2「杉」

私が杉という樹木を初めて意識したのは、2000年に箱根でパークボランティアの研修を受けた時です。杉と檜の葉の違いに加え、杉は木が真っ直ぐに生えることから、「すぐ木」が「すぎ」になったという説を聞きました。それより印象に残ったのは、先輩ボランティアが見せてくれたある技です。10センチ以上の長めの杉の穂先を取り、両端を掴んでねじると、ある角度で、それまで四方八方に突き出ていた針のような葉先が、3方向に直線に並ぶのです。杉という字の「つくり」がそこから来ていると聞き、真偽は別として、とても説得力があると感じました。今でも、山に行った時にそれを見せると、多くの人は「おーっ!」と驚いてくれます。
他に自分の経験で記憶に残っているのは、屋外でバーベキューをした時、施設スタッフの方が、辺りに沢山落ちていたスギの枯葉を焚きつけに使ったことでした。ライターの火と新聞紙だけでは炭に火をつけるのが難しかったのに、乾いた杉の葉は良く燃えて、大いに役立ってくれました。それが山に沢山溜まると、山火事が起きた時には一気に燃えるだろうなとも思いますが、日本は気候が湿潤なためか、近年海外で頻発するような大火災は起きていません。佐伯市でも、皆伐して発生した枝葉は再造林の際に邪魔にならない場所にまとめて置くそうですが、一年程度で分解し、山の栄養になると聞きました。長い時間をかけて育てた木はできるだけ無駄なく使いたいと思うものの、枝葉に関しては山に還すべきという話を、藤森隆郎先生も仰っていた記憶があります。山が持つ生産力を使い尽くさず、次世代につなぐ、それは私がとてもこだわっていることで、バイオマス利用との均衡点を探る上でも、そこだけは妥協したくないと考えています。
以前、NHKの番組で、杉は液体の運搬を容易にしたという話を放映していました。それまで、水やお酒は甕などの陶器に入れて運んでいたので、重い上に割れるリスクもあったのが、真っ直ぐに割りやすい杉の性質を生かした桶や樽ができたことで、格段に楽になったというのです。特に吉野地方では、1ヘクタールに10,000本以上という、超過密な植え付けをして、真っ直ぐで目の詰まった杉を生産していました。沢山植えることで、苗は光を求めて上に伸びますし、競争が激しくて成長が遅い方が、年輪が詰まって丈夫な樽になるからです。
10年ほど前、吉野に行った際には、樽用の板を取った後の丸みのついた部分(背板)から、箸を生産する様子も見学しました。余分を活用して付加価値をつける、昔から続く知恵なのに、割り箸が環境破壊だという偏ったキャンペーンで衰退に拍車がかかったと聞き、憤りを覚えたものです。当時は外食産業で使われる箸が一斉にプラスチックに変わりましたが、洗浄には大量の洗剤やお湯が必要で、真の環境負荷はどちらが高いのかと疑問に思っていました。最近はプラスチックへの見方が180度変わり、ことに使い捨ては縮小していく流れになっていますが、割り箸の復権にも期待したいところです。高品質の板から作る吉野の箸は歩留まりが良さそうでしたが、それ以外の地域で国産材から箸を作ろうとすると、以外にも多くの人手を要します。機械で削り出された箸を人が目で見て、節や色味のあるものをはねる作業があるからです。AIなどを駆使してそれを自動化する方法もありますが、福祉作業所で請け負うなどして、雇用を生み続けるのもまた意義のあることでしょう。
杉の一番の魅力は、何といっても木肌の温かみだと、私は思います。木造保育園の杉の床で子供たちが走り回り、自由に寝転ぶ様子、太い柱にするするとよじ登る様を見ていると、日本中の施設がこうなったらどんなにいいだろうと夢想しました。いえ、夢ではなく、いつかそうなるように仕向けたいのです。子供たちの瑞々しい感性に、それを優しく受け止める杉の温かさが刻まれたなら、彼らはきっと、その木の育った山を大切にする大人になってくれるでしょう。それが私の叶えたい夢です。

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