文月ブログ

木々に寄せて-その1「松」

私が森林や樹木について語る時、必ず最初に思い浮かぶのが「松」です。人工林の7割近くが杉やヒノキですから、森林再生という話になると普通はそのいずれかが主語になるのですが、私にとっての最上位は変わりません。それは幼い頃の記憶と、パイオニア植物として松の背負った運命に強く惹かれるからです。
私が4~5歳の頃、父は開発されたばかりの住宅地を買い、そこに家を建て移り住みました。最初の日は電気が来ておらず、2区画離れた家からコードをつないで電灯をつけた記憶があるように、かなり早い時期の入居でした。近くに3メートルほど高台になった区域もあり、あまりに地盤が固いため、それ以上掘り下げずに高台のまま売り出したと聞いていました。そこは一面に砕石が敷かれていて、草も生えない乾燥した場所でしたが、ある時、その石の間から、5センチくらいの小さな苗が幾つも顔を出しているのに気づきました。すぐ近くの山の斜面には松林が広がっていて、そこから飛んできた種が芽吹いたのでしょう。石をよけてみると、本体より遥かに長い根が下まで伸びています。しかしそこはいずれ宅地になり、それらの苗が大きく育つことはありません。子供心に胸が痛みました。幾つかを丁寧に掘りだして家の庭に植えたような気がしますが、根付くことはなかったでしょう。ただ、その可愛らしさ、健気さが強く印象に残りました。
森林・林業に興味を持ってから、私は松が「パイオニア植物」であることを知りました。十分な水や土壌が無い場所に、最初に進出する植物のことです。江戸時代の浮世絵に松が描かれることが多いのは、建材や燃料として山の樹木が過剰に伐採され、土壌も流出して、松しか生えない、痩せた土地になっていたからだと学びました。子供の頃見た松の実生がなぜあの地に生えたのか、理由を初めて知ったのです。
それ以上に私を強く引き付けたのは、自然の状態に置かれた場合の松の運命でした。荒れ地に最初に進出し、多くの子孫を残して松林が形成されると、枯れ枝や落ち葉が地面に落ちて微生物に分解され、土壌は次第に豊かになっていきます。すると、豊かな土壌に適した樹木が生えてきて優勢になり、松は徐々に衰えて枯れ、いつか消滅してしまうのです。それを樹木相の遷移と言うようですが、自らの繁栄が衰退への道を築き、他者にその場所を明け渡すことにつながるとは、松にとって何という残酷な宿命でしょう。
しかし、現実には近代まで、海岸を中心に多くの松林がずっと維持されてきました。それは人間が、松の枝を照明として、松葉を燃料として使い、土壌の有機物を増やさずに来たからです。特に松明は、人間に「時間」をもたらしたと言われます。夜の闇を照らす明かりは、油や蝋燭が安価に普及する以前、唯一の照明だったのですから。海岸の潮風から内陸の畑を守る防風林としても、松林は重要でした。強風を防ぐだけでなく、細い葉が櫛の歯のように塩分を吸着する働きを持っていたと聞きます。
松と日本人は古くからかけがえの無い縁で結ばれてきました。しかし能舞台の背景やお城の襖絵に描かれるように、どこか近づきにくい、孤独なイメージがあるのも事実です。例えば「松風」は、珍しくて印象的な文字なので、芸能人やタレントの名前に使われても良さそうですが、ネットで検索しても数人しかヒットしません。調べてみると、能の「松風」は悲恋の話ですし、古典文芸において、うら寂しい海岸の情景を表すとされていて、人気商売には不向きなのでしょう。私はそれを逆手に取って、「松風えり」というペンネームはどうかと考えたことがあります。しかしどこか虚勢を張った感じが拭えない、自分らしさからは遠い名前だと思い、文月という親しみのある言葉を選びました。それでも、松への愛着と崇敬は、私の心に消えることなく灯り続ける、永遠の松明なのです。

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