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日本人と時間を巡る話

最近、私の目や耳には、日本列島や日本人と時間に関する情報が良く飛び込んでくる。新聞・テレビ・ネットの膨大なデータの海から拾い上げるのだから、脳の感度が余程その分野に敏感になっているのだろう。先週まで5回続けたブログは、「火山と断層から見えた神社のはじまり」(双葉文庫 蒲池明弘著)に出会って引き込

地底に眠る縄文の森

「森のことづて」という小冊子がある。しまね自然と環境財団が平成25年に発行した、地底に眠る縄文の森・三瓶小豆原埋没林(さんべあずはらまいぼつりん)に関する本で、10年ほど前、見学に訪れた際に求めたものだ。ここ数か月、私の脳内で芽生え、根を下ろした古代日本人の暮らしや祈りへの思い、それについて書いてき

古代から続くものづくりのご縁

先日、隠岐諸島にある海士町の町営住宅のプロポーザルで、新潟県の小さな工務店が中心となったチームが採択を勝ち取った。一見すると、島根と新潟は遠く、何のつながりも無いように思われる。ところが、古代の玉造(たまつくり)において両地域はつながりがあったという。以前も紹介した「火山と断層から見えた神社のはじま

古代日本人の信仰とスギ・ヒノキとの関わり③

古墳時代の終わり頃、538年に大陸から仏教が公式に伝わった。587年に王族の帰依や布教に反対した物部氏を蘇我馬子が滅ぼしたことで、仏教は更に広まり、政治に利用されるようになる。593年には推古天皇が立てられ、摂政となった聖徳太子は法隆寺の造営を進めて、607年頃に完成したとされる。その後670年に火

古代日本人の信仰とスギ・ヒノキとの関わり②

日本書紀には、スサノオノミコトが髭から杉を作り、胸毛から檜、尻毛から槇、眉毛から楠を作り、杉と楠は船に、檜は宮殿に、槇は棺桶に使うよう定めたという逸話が収められている。日本書紀が成立したのは720年と伝わり、ヒノキを主体とした法隆寺が最初に建立されてから110年ほど後だ。つまり、既にヒノキが建築に欠

古代日本人の信仰とスギ・ヒノキとの関わり①

日本人はいつ頃から、どのようにしてスギ・ヒノキと向き合ってきたのだろう、そしてそれは古代の人々の信仰とどのように関わってきたのだろう、最近私はそんな疑問に憑かれて、折にふれ調べものをするようになった。疑問のきっかけは「火山と断層から見えた神社のはじまり」(蒲池明弘著 双葉文庫)という本を読んだことだ

木造建築と大工の役割

先日、ある建材商社の主催したセミナーで、大工という職能の過去と現在・未来について、設計士、工務店、大工、そして木造大型パネルの開発者が講演し、ディスカッションした。大工は担っていた役割をどんどん取り上げられ、多くが低待遇の作業者に甘んじている。誰も真剣に大工の事を考えていないのではという指摘もあった

木を燃やす発電の限界

FIT(固定価格買い取り)制度が始まったのは2012年。数十年かけて育った木を燃料にすることへの抵抗感から、私はボイラーの仕組み知ろうと通信教育で勉強し、2015年の5月に国家試験を受けてボイラー技士二級の資格を取った。そして産業用ボイラーの効率の高さと、過去に起きた事故の教訓を活かした幾重もの安全

森からもらった命を人へ

先週、私は生まれて初めて献血に行き、新しく生まれ変われたような気持ちになった。その喜びを分かって欲しくて、少し自分の話をさせて頂く。子供の頃から体が弱く、月に一度は熱を出して抗生物質のお世話になっていた私。体力測定の1キロを走れない、山登り遠足は途中で落伍する虚弱な子供だったが、大学生になる頃に

「命の気配」と繋がる感覚

体と心が健全なバランスを保つのに、個々の感覚はどんな役割を果たしているのか、考えさせられる出来事があった。懇意にしていた近所のご婦人は耳に障害があったが、補聴器をつければ会話ができ、私はよく声をかけられてお茶やお菓子を頂きながらお喋りした。しかし誰もいない時は、機械が小さな音も拾ってしまい耳障り

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