今年はアダムスミスの「国富論」(正確には「諸国民の富」)の出版250年だそうだ。私は以前「共感の思想史」(坂本達哉著 岩波新書)という本を読み、アダムスミスという人は、自分の意図を後世に正しく伝えることに失敗したのでは、という考えを抱いていた。スミスは36歳の時に「共感」と「公平な観察者」を基礎に
日本の森林は野生生物の楽園になっていて、増え過ぎたシカやイノシシと同じように、森からあふれ出たクマが人里に現れている、一般に報道されているように、私もずっとそう思っていた。しかし実態は全く違う事を強く示唆する本に出合った。金井塚務著「奥山を捨てたクマ―大量出没の謎を解く」読んでみると、今起きている
来月末、佐伯広域森林組合を訪ねるツアーを実施する。毎年少しずつ内容を変えながら、今年で三回目だ。 初年度は東大名誉教授の酒井先生に団長をお願いし、再造林を極めるツアーとして、佐伯に加え、県境を接する耳川を巡った。どちらも立派な森林組合だが、取り組み方は、すぐ隣なのにこれほど違うのかと驚くばかり
クスノキは関東以南の太平洋側を中心とする暖地に自生する常緑広葉樹で、台湾や中国南部、ベトナムにも分布しているそうだ。千葉では街路樹として植えられることが多く、日常的に目にする木だ。日本書紀にはスサノオノミコトが眉からクスノキを作り、髭から作ったスギと共に、これで船を作れと命じたと書かれている。分布
日本の森林には、激変する日本の社会を支え蘇らせる力がある、私はそう信じて発信を続けている。それは直感であると同時に、そうすることが同じ志や必要な技術を持つ人々を呼び寄せて化学反応を促し、実現可能性を高めるからだ。逆に森林の可能性を信じない事には何の利点も無いと思っている。そんな私を大いに後押しして
人は原生林にいきなり踏み込むことはできない。大抵は獣たちが通った踏み跡、獣道をたよりに歩を進める。最初は屈強な人間しか通ることのできなかった道は、次第に幅を広げ、いつしか車に乗って最も弱い人間も通行できるようになる。 夏休みが終わりに近づくと子供の不登校が話題になる。最近では35万人の児童
林業がなぜ衰退産業になったのか、戦後の日本の森に起きたことを、私はずっと少しずつ考えてきた。研究するというほど大げさでも深くもない。それでも私は、時代背景や原因、あるいは何がきっかけでそうなったのかを知りたいと思ってきた。 日本の森(山元立木価格)も製材品の価格も最も高かった1980年、その時
明治期の林業を調べていたら、林野庁HPのある記述が目に留まった。昔から木材は川の流れを利用し、筏を組むなどして遠くまで運ばれていたが、それを変えたのは日露戦争前後の急速な発展による電力需要だという。送電技術の発達と相まって、明治末期から大正期にかけ、全国各地の主要河川に水力発電所の建設が始められた
朝の情報番組でサラダが特集されていて、改めて気づいた事がある。日本で生野菜のサラダが食べられるようになったのは、戦後、進駐軍が生野菜を食べたいと、生食できるレタスを栽培するようになって以降のことだそうだ。日本人はずっと昔から魚介類を生で食べてきたが、野菜には火を通していた。それは土に混ぜ込む肥料と
2020年の7月に大水害に襲われた人吉市は球磨川の中流域、今回の地震で大きな被害を被った八代市は球磨川が海に注ぐ場所にある。熊本県は林業が盛んで、2023年のスギの生産量は615千m3で全国5位、ヒノキは280m3で全国一位を誇るが、残念ながら、全国的な傾向と同様、再造林が追いついていない。熊本県