文月ブログ

森を巡る旅-国産材ビジネスセミナーその2「受講中に遭遇した大震災」

2010年に始まった国産材ビジネスセミナーは、千代田区の元小学校だった建物を活用した、NPOや社会起業家向けのスペースで開催されていました。
ビジネスとして本気で取り組む人に来て欲しいという主催者の思いからか、当時はセミナーが平日に行われており、2011年3月11日金曜日、私は会社を休んで受講していました。14時46分に東日本大震災が発生、最初は小さかった揺れがどんどん大きくなり、小学校で使われていた木製の机の下で身を屈めながら、激しい揺れによる建物の倒壊リスクに晒された恐怖は忘れられません。ようやく揺れが収まった時、施設の管理者から外に出るようにと管内放送がありました。その建物に入居あるいは会議や催しに参加していた人々が、一様に青ざめた表情で運動場に集まり、余震の度に、近くに建つペンシルビル同士が触れそうにしなうのをこわごわと眺めていました。
携帯電話で見た緊急ニュースに、最初は5~8メートルと表示されていた津波予報が、場所によって20メートルを超えると改定された時、これは大変なことになると背筋が凍りました。私には東北地方に身内や親しい知人はいませんでしたが、家族のいる人はどんな気持ちだろうと居たたまれない思いでした。
その後、建物の強度に問題が無いと確認されたようで、私達はみな元いた場所に戻り、ネットニュースで各地の様子が報道されるのを見ていました。普通はテレビ番組をネットで流すことは禁じられていますが、この時ばかりはNHKがそれを解禁していたのを覚えています。それほど、今起きていること、今後予想される災害をできるだけ多くの人々に知らせることが重要だったのです。
早々とJRが当日中の全ての列車の運休を発表していたので、ここに泊まるしかないと、近くのコンビニに飲み物や食料を買いにいきました。この時点では、まだ十分な商品が並んでいましたが、恐らく数時間後には、棚は空っぽになっていたでしょう。
建物自体が地域の広域避難場所に指定されていたので、毛布が配られ、頻発する余震の中でも安全が確保されていて、この日の帰宅困難者の中ではかなり恵まれた状況でした。リクルートスーツを着た、就活のために上京していたらしい一人の女子学生が不安げに敷地内に入ってきて、ツイッターでここに来るといいと聞いてきた、とのことでした。良かったね、ここなら大丈夫だよ、と言いながら管理室に案内した時の彼女の安堵の表情に、どれほど怖かったことかと切なくなりました。後日の報道によれば、ツイッター社の技術者が日本の災害を知り、別の用途に使うはずだったサーバーを日本向けに大量に振り向けてくれていたそうです。そのような情報インフラの重要性を、初めて身をもって体感しました。
この夜は、現実とは思えない津波の映像と、海岸沿いの都市が壊滅したといういくつもの報道に、これから先にどんなことが起こるのかと、当然ながらあまり眠れませんでした。
参加者の中に、息子さんが東京電力の社員という方がいて、これから大変だろうと心配されていました。それでも、その後の原発事故の対応で、東電社員の方々に降りかかった苦難の大きさは、恐らく想像を超えるものだったと思います。
津波によって海岸地帯の森林の多くは丸ごと流され、原発事故により、福島を中心とする広範囲で森林に高濃度の放射性物質が蓄積し、森の恵みは失われてしまいました。千年に一度の震災の日に、会社におらず国産材のセミナーを受講していたこと、これはやはり森林再生が自分に課せられた使命なのだと、思いを強くしたできごとでした。

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