文月ブログ

森を巡る旅-狩野川の眺め

幼稚園から大学まで、私は静岡県東部の清水町という町で育ちました。よく昔の清水市と間違われ、「ああ清水の次郎長ね」と言われますが、旧清水市は中部にあり、今は静岡市清水区になっている別の街です。
それまで沼津市の港湾地区に住んでいた父は、隣町の清水町に造成された新興住宅地の土地を買い、そこに自分で間取りを考えた家を建てました。小学校に上がると、私は自宅から片道20分をかけ、毎日歩いて通学するようになりました。
痩せて背が高く、それを気にしていつも背中を丸めていた私、体が弱くて月に一度は寝込み、本を読むのが好きで、色々なことをよく考え、しかし行動することは苦手な子供でした。
そんな私にとって、学校自体は行きたい場所ではなかったものの、通学途中に景色を眺めるのは毎日の楽しみでした。
殊に、狩野川にかかる徳倉橋(とくらばし)の上からは、北には近くの山の背後に富士山、南に狩野川と河川敷、斜め右前方には箱根の山々が連なります。天城山に源を発し、太平洋側には珍しく、南から北に向かって流れる狩野川は、橋の上流でゆるく蛇行し、川と堤防の間には河川敷が拡がっていました。現在はグラウンドとして整備されているようですが、当時は一面、丈高い草に覆われていたと思います。大雨が降ると幾つもの水たまりができ、時には何週間も消えずに残ることもありました。遠くには二つの峰を持つ鷲頭山が霞んでいます。静かな川面と、緑深い両岸が遠くまで見渡せる場所で、吹く風を頬に感じながら、いつまでも佇んでいたい思いを抑えて通学していたのです。
ある帰り道、橋を渡った後に、道路の横断を避けるため設けられた、橋の下をくぐって反対側に抜ける道を歩いていた時のことです。橋から河川敷に続く階段を降り、左に曲がって川の対岸を正面に見た時でした。向こう岸に生い茂る草が、夏風にあおられて一斉に激しくなびき、踊るように、狂おしく渦巻いているのが目に入ったのです。自分の立っている場所の両脇にも草が茂っていて、まるで映画の巨大なスクリーンのように、自分の視界の全てが恐ろしいほどの緑一色に染まっていました。あたりには誰もおらず、強い風の他には何も聞こえない、無音の世界が広がっていたのです。激しく波打つ夏草が自分を呼んでいるようで、その美しさと猛々(たけだけ)しいエネルギーに、永遠に浸っていたい、心からそう思いました。長い時間のように感じましたが、実際は3分ほどでしょうか、帰宅する他の児童が、立ち尽くす私の傍を追い抜いていき、私は現実の世界に戻りました。50年以上経っても、時に鮮やかによみがえる思い出です。
夜には、箱根の山々に、道路に沿って立ち並ぶ建物の灯りが、まるでネックレスのように煌めいて見えました。あの山の向こうには自分の求める何かがあるのでは、そんな思いは、成人した後に、箱根でパークボランティアの活動をするという形で現実になりました。
あの夏の日、自分が自然と一つになり、その声に聞き入った体験は、今でも私の精神の土台に深く織り込まれています。人間が自然と隔絶しては存在し得ないこと、それを体と心にしみ込ませた自分は、いつか多くの人に伝える役割を担うのかもしれない。そんな50年前のぼんやりした空想は、川の流れのような長い道のりを経て、ようやく目指す海に辿り着こうとしているようです。

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