旅行会社に入り、都内の比較的大きな店舗に配属された私は、そこで初めて労働組合の活動に触れることになりました。職場ごとに「分会」と呼ばれる組織があり、支店長や業務課長(NO2)といった責任者以外は、役職者も組合員という形態でした。政治学に関心のあった私は、月に一度開かれる全員参加の会合(これも分会と呼びます)で、手を挙げて質問しました。その行為は早速組合の上層部の目に留まり、その年から各職場に一人選任することになっていた、「女性の分会副委員長」という役職にいきなり就けと言われたのです。
組合活動は多くの人にとって、その必要性は感じながらも、自分は役に就きたくない、極力避けたいことでした。面倒な会議や動員に時間を取られるため、順番で仕方なく引き受けるものだったと思います。しかし私には、仕事のできない自分が政治学で学んだことを生かして人の役に立てる、承認欲求を満たしてくれる活動でした。
前回も書いたように、私は苦手なことには集中力が続かない、ダメな新入社員でした。指示されたことの意味や仕事の全体像がわからないと頭に入らない上、動作も遅く、ミスばかりしてしまいます。短大卒の同期の女性は、言われたことをテキパキこなし、飲み込みも早く、どんどん戦力になっていくのに、私はお荷物のままでした。
最初は鉄道のチケットや航空券を販売するカウンターで働きましたが、一年ほどで、総務や経理、審査課と呼ばれるチケット類の販売管理をする部署に回りました。旅行会社は基本的に旅が好きな人達が働いているので、後方業務をやりたい人はあまりいません。私には拘りがなかったのと、接客業務でミスをすればお客様に迷惑をかけるので、自分にも周囲にも良い配置換えだったと思います。少しずつ仕事にも慣れ、週末ごとに自分の思いを書き出すという作業を経て、私は何とか会社に適応していきました。
そんな入社三年目、順当なら同期の男性が引き受けるはずだった「分会委員長」という大役が、本人の固辞により私に回ってきたのです。それまでも、女性しかいない職場で女性が委員長を務めることはありましたが、50人もの従業員を抱える大型店舗で女性が委員長になるのは、全国でも初めてのことでした。私は身のすくむ思いと同時に、何者かになれる手がかりを掴める気がして、引き受けることにしました。
分会の委員長になるには、労組の主催する泊りがけの「労働講座」を受講し、労働法や組合の歴史、給与体系・服務規程などについて詳しく学びます。そればかりか、社会や経済、その中で自社がどのような位置におり、今後どのように発展していくのか、そのための課題は何かといった、経営に関する講義やディスカッションもありました。仕事では丁稚に過ぎない私が、帝王学を学んで支店長との「職場協議」に臨んでいったのです。現実と理想の狭間で、自分にできることを精一杯やろうと取り組みました。
その頃には、自分の考えをまとめて話すことが苦にならなくなっていました。分会での意見集約を基に支店長らと職場協議を行い、その結果を分会で説明する、そのような繰り返しが自分に自信を持たせ、周囲の見る目も変えていったのでしょう。
印象に残った出来事があります。毎年行われる新入社員向けの労働講座で、いかにも頭の切れそうな、しかし労組になど興味が無いと斜に構えた若者がいました。最初はただ面倒と言わんばかりの態度でしたが、私が組合活動の意義について話をするうちに、次第に真剣な表情でこちらを見るようになり、最後は納得した顔で、良く理解できましたと頭を下げてくれたのです。自分の言葉を得るための努力が実を結んだ瞬間でした。その果実は私を潤しただけでなく、豊かな土壌に落ちて芽を出し、今も私を支える太い幹へと成長しました。
日本の森林再生を考える時、私の思考の土台にある「共益」の考え方は、労働組合の活動をとおして身についたものでしょう。言葉の探求が世界を広げ、森を巡る旅へと導いてくれたのだと思っています。
文月ブログ
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