文月ブログ

山梨の光と影

明るい光と深い影は一体のものだ。ギリシャで彫刻が発展し、エジプトでレリーフ(浮き彫り)が多くの建築を飾ったのは、光の強さの違いが大きな理由だという。強い日差しの下では、彫刻の影になる部分は真っ暗になるが、レリーフなら僅かな凹凸でもくっきりと線が浮かび上がる。山梨県を訪問して、そんな話を思い出した。
山梨県は晴天率が高く健康寿命が長い。質の高いワイン、河口湖や山中湖など有名な観光地、今も移住先として人気が高く、明るく豊かなイメージがある。しかし、人口はわずか80万人だ。大阪府の堺市や、静岡県の浜松市は一市だけでほぼ同じ人口を抱える。当然のことながら、県の財政基盤は弱い。しかも東京都、神奈川県に接していて、その差異を意識せざるを得ない。
北都留森林組合の中田参事の話では、東京や神奈川は間伐に搬出奨励金が出る。しかし山梨の場合、少し前まで間伐して出した木材を売ると、その金額が補助金から差し引かれていた。1㏊を間伐して、東京・神奈川では40万円の収入になることもあるのに、自分達は半額程度、そんな中でもモチベーションを維持してやってきた。主伐して再造林する場合も、シカ除けネットの設置費用が6割しか補助されない。隣村に行くのに、急カーブの続く山道を車で1時間、しかし近くのインターチェンジから高速に乗れば、20分で八王子に着くという立地、山間地域と都市の間で、その不利な面にずっと縛られてきた。それでも働く人により多くの給与を支払いたい、山主さんにお金を返したい、そんな積年の苦労が偲ばれる。
一方で、管轄内の丹波山村(たばやまむら)は、最近若い移住者を惹きつける村として注目を集めている。30年続けてきた山村留学が、卒業生の定着にはあまり繋がらずとも、地域に新しい人が入って来ることへの抵抗感を薄め、若い人達の発想や行動を後押しする土台を作ってきたのかもしれない。全く別の県から来た若者が林業会社を興したり、不動産会社を設立して土地活用を進めたりしている。移住希望者は多いが、住宅が足りない、大工もいないという状況で、役場から木造大型パネルによるモバイル住宅建設の話があり、先日現地を視察してきた。
役場の担当者は30代の女性で、村出身だが海外で働いた経験もあり、コロナを機に家族を連れて村に戻ったという変わり種だ。その彼女が、元は小学校だったという川沿いの広い敷地を案内してくれた。川が削った狭い土地に人が暮らす村では、まとまった土地は希少だ。しかも山が深いと、日照時間は短いことが多い。彼女は周囲を見渡しながら「ここは長く日が当たるんじゃないでしょうかね。」と言った。そうだ、村の将来を担う子供たちのために、誰だって明るい光に溢れる場所に学び舎を建てようと思ったはずだ。日本百名山の一つ、雲取山の登山口にも近い。この場所に村人も登山者も気軽に立ち寄れる施設ができたら、きっと賑わいが生まれるだろう。
所与の環境を嘆いても仕方がない。携帯の電波がつながらないなら、デジタルデトックスを売りにする。地元に大工さんがいないなら、木造大型パネルでその負担を減らしながら、定期的に通って営繕を担ってくれる大工さんとの関係を作る。無いことはマイナスではなく、新しい何かを選べることだと考える。そんな人と技術が結びつけば、確実に何かを変えられる。
光は波であり粒子でもある。人の往来が増えて廃屋の解体や建て直しが進み、森林組合が地元の木材の提供という形で村の再生に関わっていけば、豊富にある森林に光は徐々に浸透していく。優れた彫刻が影の部分にも色や質感を感じさせるように、深い谷や隠れた暮らしの知恵という奥行きが、若者達の描くフォルムに彩りと確かな手触りをもたらす。バーチャルの世界には無いその実感こそ、彼らの瞳に宿る光の源泉なのだろう。

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