文月ブログ

森を巡る旅-言葉の探求その1「書くことのはじまり」

森を巡る私の旅は、実は小さな子供の頃から始まっていたように思います。母によれば、3~4歳の頃から、新聞の文字を指さして、これは「めばえ」の「め」などと口にしていたそうです。入学前には文字の読み書きができ、小学生向け雑誌も、自分の学年では飽き足らず、2歳年上を対象にしたものを読んでいました。「少年少女世界文学全集」を買ってもらい、時間があれば読みふける少女でしたが、同時に、近所の山で遊ぶのも好きで、通学途中に目にする箱根連山や狩野川の眺めに心惹かれる毎日でした。
その地域では毎月、多くの小学校が参加して児童の書いた文章を掲載する、「駿東文園」という文集が発行されていましたが、私はそこに何度も詩や作文が掲載される常連でした。「文学少女」などと呼ばれて悪くない気持ちでいた私ですが、その後、大人の文学に歩を進めることができず、成長を止めてしまいました。大岡昇平氏の「野火」を読み、その恐ろしさに体がすくんで、それ以上踏み込むことが怖くなったのです。活字を読むことは好きだったので、関心はカール・セーガン氏の「コスモス」のような、自然科学・社会科学の方面に向かっていきました。と言っても、文系で算数や理科といった科目は大の苦手、なのに自然科学系の読み物は好き、という何ともアンバランスな学生だったと思います。
女子高を卒業して自宅から通える私立大学に通い始めた時、私は世間知らずで何の自信もなく、自分が何者であるか、何をしたいのかという問いに正面から向き合うこともできない、情けない人間でした。しかし、たまたま受講した政治学の講義に興味を持ち、講師の人柄や考え方に惹かれて通ううちに、新聞やテレビニュースを通して知る世の中の状況に対して、自分なりの考えを表明したいという気持ちが涌いてきたのです。その時はそれを文章にすることまでは望んでおらず、せめて会話の中で、自分の思いや意見を適切に話すことができたらどんなにいいか、と思っていました。政治学は、人間社会に生じる様々な問題を解決する手段の研究です。学生と比較的年齢も近く、厳しさと温かさを併せ持ったその先生の周りには、いつも多くの学生が集っていました。
大学を卒業してある旅行会社に勤め始めると、集中力が足りずミスを重ねてしまう、疑問や意見を的確に表現できず、誤解されてしまう自分に直面することになりました。頭でっかちで、考えることに手足の動きがついていかなかったのです。自分の考えをうまく人に伝えられないという私の悩みを恩師に相談すると、先生は私に「書く」ことを勧めました。書くことで、頭の中が整理され、会話でも自然に言葉が浮かんでくるというのです。それから私は、週末などを利用して、自分の思いを文章にする作業を繰り返しました。
昔から友達の少なかった私の周囲には、いつも自然が寄り添ってくれました。富士山の雄姿はもちろん、季節ごとに咲く花々、狩野川河川敷に広がる風景、それらを巡る風を吸い込み、思考をペン先に込めて、私は徐々に、言葉を紡ぐ力を培っていきました。

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