九州で最も大きな市、佐伯を私は10回近く訪れている。しかし目的地は森林組合なので、宇目の本所・工場と佐伯港に近い木材団地以外、市街や観光地を巡る機会はこれまでなかった。今回は仕事の都合で丸一日空くことになったのを幸い、始めて佐伯を観光することにした。そこで出会ったのは、歴史と文学、水産と造船に支えられた「海の佐伯」だった。
佐伯駅前の観光案内所にはスタッフが常駐しており、公共交通機関で回れる場所を丁寧に案内してくれた。聞けばその方の出身地は横浜で、佐伯の海の豊かさに惹かれて3年前に移住してきたのだと言う。私は佐伯の山に魅了されて通うことになったのだが、お互いに佐伯の別の側面を全く知らなかった。佐伯はもともと海の町で、そこに山の町村が合併して今の市域になった。山の人達は海側の中心市街地に降りてくるが、海の近くに住む人たちが山に向かう事は少ないだろうから、認知度が低いのも無理は無い。
フェリーかマリンバスで沖合の小島に渡り、そこで楽しむトレッキング、城山の麓に整備された「歴史と文学の道」では趣のある街並みを歩き、新緑に花々が咲き競う庭園を眺めながら珈琲やスイーツを楽しめる。国木田独歩も愛したという城山に登れば、青く蛇行する番匠川がリアス式海岸に流れ込む様と、眼下に広がる佐伯の市街地を一望できる。こんなに素晴らしい観光資源に恵まれていたことを知らずにいた自分が情けない。
佐伯市は観光に力を入れており、歴史資料館は人口6万人の都市にこんな施設が、と驚くような立派な設備だ。船の進水式も観光資源として見学できる。かつて「佐伯の殿様、浦でもつ」と謳われたように海の幸は豊富で、居酒屋で出された一人前の刺身の盛り合わせ、その量と美味には驚いた。時折テレビなどで海の魅力が紹介され、それを目当てに来る人もいるようだが、大都市圏からの遠さはどうにもならない。大分空港から車で2時間、日豊本線は特急を含めても1時間に1本程度。そして街中にはあちこちに海抜表示があるが、3~5メートルしかない場所が多い。リアス式海岸では津波は増幅され山肌を駆けあがる。南海トラフ大地震が起きれば、町のほとんどは吞み込まれてしまうだろう。そんなリスクを背負う場所、シャッターのしまった店舗が目立つ町で、人々はゆったりと、優しい表情で生きている。
海の恵みを育てるのは山から来る養分だ。昔の人もそれは良く知っていて、『浦』でもつ、という言葉の後には「浦の恵みは山でもつ」と続く。山から海まで、番匠川でつながった流域全体が一市になったのは、本来あるべき姿に戻ったとも言える。山の産業には、水産や造船のような巨大な利益を生み、かつての賑わいを取り戻す力はないかもしれない。しかし先人達が選び抜いて植えてきた数種類の飫肥杉(オビスギ)が収穫期を迎えた今、それを伐採して住宅にし、津波の届かぬ場所に安住の棲家を建てていくことは、海際に築かれてきた暮らしの厚みを山に拡げ、山に還していく試みではないだろうか。それはいつか来る津波災害への備えにもなり、人口減少をゆるやかにするかもしれない。山で生まれ、海に抱かれ、また山に還る命の循環が見える街、佐伯。ここに暮らす人たちと長く関り続けたい、そんな思いが益々強くなる旅だった。
文月ブログ
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