先週、再造林とその公的支援について書いたところ、思いの他多くの方々からご意見を頂いた。私自身は、税金投入への疑問から再造林を躊躇することが、感覚としては健全ながら、国土保全の重要性を考えればやはり実施していくべきでは、という主旨の発言をしたつもりなのだが、中には私が間伐の継続を否定し、皆伐を推進しているかのように受け取られた方もいたようだ。それだけ、関係者の間ではデリケートなテーマなのだろうと改めて感じた。
間伐は良い森を育てるための手段なのだから、50年でも120年でも、山主が目指す森の姿を作るためなら、実施期間は自由に選択すればいい。しかしそんな風に理念を持って森林経営をしている人は全体から見ればごくわずかで、大多数の山主は、持ち山が伐採されてお金が入り、負担がゼロかごくわずかなら再造林をしてくれてもいい、くらいのスタンスではないだろうか。昔自分で世話をした記憶のある世代はまだ思い入れがあるが、親から相続した人々はほとんど森に親しみが無いのだろう。
無理に植えなくてもそのうち森に還るから問題ないという人もいる。実際に、土壌と水があれば半年程度で裸地は雑草に覆われ、目立たなくなることも多い。しかし放っておけばササなどが生え、森と呼べる状態に戻るには数百年もかかってしまう。その間、Co2の吸収も固定もあまり期待できないし、急な斜面では土を抑えていた樹木の根が腐った後、災害のリスクが高まる。
スギ・ヒノキなどの針葉樹は育林方法が確立されていて、在来木造建築との親和性も高く、きちんと再造林して循環させれば、無限に活用し続けることが可能だ。戦後の拡大造林期には尾根の上まで無理して植えたケースもあったが、そこは経済的に成り立たせる林地とそうでない場所を分け、再資源化に期待が持てる地域は再造林を進めて欲しいと思う。
再造林は国土を守る仕事、と考える時、いつも頭に浮かぶ事がある。政治的な話をするのを普段は避けているのだが、今回だけは表明してみようと思う。それは国会議員の定数が人口のみで決められる事への疑問だ。都市の生活は地方とそこに住む人々によって支えられているのに、中山間地域から都市部への人口流出が止まらない中、人口だけで選挙区や議員の数を決めることが本当に正しいのだろうか。私の住む船橋市は65万人の人が住んでいるけれど、面積は約86㎢に過ぎない。同程度の人口の高知県は7102㎢、島根県は6708㎢で、80倍もの面積を管理しなくてはいけない。長い海岸線、古くなった社会インフラ、所有者が不明な山林、それらの課題に対処する責務の重みを国会で伝える議員の数が、人口を理由に減らされて良いのかと思う。
森林環境譲与税は逆に、人工林の面積や従事者の数に加え、人口も算定額に反映されているので、都市部にも応分の配布がある。そんな考え方が国会議員の定数にも取り入れられて良いのではと考えるのは、私の心得違いなのだろうか。
文月ブログ
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