いつも通る道の脇に、建設計画を記す看板が立ちながら、ぽっかりと空いたままの敷地がある。この辺りは建て替え需要が多いが、3月に取り壊しが完了しても、工事は始まる気配がなかった。言うまでもなくイラン情勢による建築資材の欠品・高騰のせいだろう。庭付きの一戸建てが無くなり、木造3階建ての集合住宅は8月完成の予定だったが、建て主は大きな損失を抱えているだろう。更地では乾燥のせいか、最初の1ヵ月ほどは植物の進出が押さえられていたが、5月に入ると降雨と高温で多数の植物が芽生え、あっという間に敷地を埋め尽くした。土壌・水分・日光の条件さえ整えば、発芽して成長し、満ち溢れようとする植物の逞しさに私はつい感情移入してしまう。
イランでの戦闘・爆撃による直接の死者だけでなく、食料品価格の高騰で栄養失調になったり、不況で医療へのアクセスができずに亡くなったりした命は無数にあるだろう。世界を巻き込むこんな不条理は起きて欲しくなかったと心から思う一方、命は常に揺さぶられ、鍛えられ、時に理由もない選別を経て存続するものだとも思う。社会を一つの命に例えるなら、天災も人災もコロナのような疫病も、傷や痛みを乗りこえ、危機に対応するための変化を促す環境要素の一つに過ぎない。空き地に繁茂した草の種は、この紛争が無ければ別の地に落ち、芽生える事が出来ないまま雨に流されていたかもしれない。
雑草とは「望まれない場所に生える全ての植物」だそうだ。とすると、空き地に繁った草は、いずれ基礎工事をする業者にとっては雑草だが、土の飛散を抑え、目に鮮やかな緑を提供してくれるという点で近隣住民には雑草ではない。森を皆伐して跡地に苗を植えた後、その周囲に生えてきて日光を遮る草は雑草だが、苗木が充分に成長して若木になって以降は、土壌の流出を防ぎ樹冠の込み具合を判断する基準にもなる「下層植生」と呼ばれて重要視される。もっとも植物は人間にどう思われているかなど全く関係なく、ひたすら成長して子孫を遺そうとするだけだ。そこには多くの昆虫や鳥も引き寄せられ、小さくても豊かな生態系が形成される。私は人間が高等生物だと自認するのは単なる自惚れで、魂の次元では植物の方が遥かに上かもしれないと思うことがある。
イラン紛争に終結の兆しが見えたせいか、写真を撮った翌日には敷地に業者の車が乗り入れ、わずか数時間で生き物達の楽園は跡形もなく消え失せた。しかし刈られた草は一粒の種の時から、いつどこで発芽するかを決断し、一度始めたら止められない競争を闘っていた。例え数か月でも、そこに根をおろして実を結んだ植物達は勝利を勝ち取ったのだ。その姿は私に教えてくれた。社会の隅々に浸透した製品の共通する原料の欠乏、この出来事で何が変化し、何が変わらなかったのか、AIの伸長する社会ではどんな強風が吹き、何が慈雨となるのか、それらに目を凝らしながら、少しでも空いたスペースに全力で飛び込み、勝負を挑んでいけと。
初夏の風を受けて波打つ草の葉、その中でひときわ目を引くピンク色の花弁、彼らの奏でた命の協奏曲は、周囲に高らかに響き渡っている。
文月ブログ
コメント