文月ブログ

森と生きるために-文化材保護と技術の継承

先日、「文化遺産を未来につなぐ森づくり会議」の総会がオンラインで開催されました。議事が終了した後、文化財の修復等に必要な大径材(太い丸太)の生産を担っていただく、幾つかの林業家についての調査報告がありました。
日本の森林には200万戸を超える所有者がいて、その7割は1ヘクタールに満たない小規模所有者です。大径材の生産には、間伐はもちろん様々な手入れが必要で、何よりお金になるまでに時間がかかります。となると、どうしても、一定以上の面積の森林を持つ林業家の手を借りなくては難しいのが実情です。そんな理由から、昨年は6件、今年は3件の林家さんについて、経営実態や今後の施業方針などのヒアリングが行われました。
そのうち今年度の3件の報告が、今回行われたのです。詳しい内容は省きますが、共通して言えるのは、どの林家さんも経営に苦労されているということでした。昔に比べ、木材の価値が5分の1以下に下がっているのですから、当然とも言えます。個人の所有だと、相続の際に所有者が分散してしまうリスクがあるため、法人化してそれを防ぐ他、林業以外にも様々な事業を手掛けて収益を確保しようとする傾向があるようです。
今回は特に岩国の吉川家の話が印象に残りました。吉川と言えば毛利家を支える名家で、現在の当主は初代岩国藩主から数えて16代目に当たります。興味が湧いたので、吉川林産興業のホームページを調べてみました。吉川家の家系図によると、岩国藩主となる前には安芸国の地頭であり、更にそれ以前の始祖は、何と駿河国に住んで、源頼朝の側近に随従し、梶原景時を討ったという記録が残っているそうです。静岡出身の私は、不思議なご縁を感じずにはいられませんでした。
吉川家の2300ヘクタールに及ぶ所有山林は、昔から持っていた山ではなく、廃藩置県後、明治期に購入したものだそうです。当時、欧米で学び、外務省に勤務した分家の吉川長吉(ちょうきち)という人がおり、欧米の貴族が財産を維持するために山林経営をしている事を本家に献策したことから、13代目の当主が広大な山林を手に入れました。森林が、長期間にわたり安定的な財産と捉えられていたことがわかります。しかし戦時中に相当の伐採を強いられた他、戦後は一時期を除き、現代にいたるまで木材価格の低迷が続いていますから、100年後を予測するのがどれほど難しいことかと改めて思います。
また、吉川家は有名な木造の橋、錦帯橋を創建しました。この橋が昭和25年の台風により流失した際には、コンクリートによる再建を主張する声に抗い、岩国の人々は粘り強い交渉で木造での再建を果たし、平成には架け替えを行いました。実はこの時には、様々な理由で地元の木材は使われなかったそうで、吉川家は令和の架け替えではやっとそれが叶うと期待していました。ところが、錦帯橋が文化財としての価値を認められるのに伴い、架け替えなど怪しからん、という意見が出てきて、技術の継承ができなくなる心配が生じていると言います。伊勢神宮の式年遷宮のように、一定期間ごとの建て替えが決められていれば良いのですが、そうでない場合、経費の問題を含めて、文化財の保護と技術の継承は、二律背反にならざるを得ない、難しさがあるのです。一子相伝の昔と違い、今はビデオもAIもあり、壊して建て替えなくても記録は残せるという見方もあるでしょう。それでも、唯一無二の木造建築には、実際に見て、触れてみないとわからない、沢山の技術が使われているはずです。台風のような思わぬ災害で失うことになる前に、その技術が次世代に受け渡されていくことを、心から願います。

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