文月ブログ

森と生きるために-森林と建築の連携最前線

2022年11月15日、大分県の佐伯広域森林組合の皆さんが、地元の製材や工務店など多くの関係者と共に新潟県長岡市を視察に訪れました。直行便などあるはずもなく、皆さん早朝に大分を出て羽田に飛び、大型バスに乗って途中で木造住宅の建築用金物を製造するメーカーを視察した後、長岡入りされました。そうして迎えた16日の朝、セミナー会場の志田材木店の会議室には、新潟の建築関係者や県の林政担当者を含め、総勢60名もの人々が集まったのです。コロナの第八波も懸念される中、その熱気は格別なものでした。
各代表者の挨拶に続き、志田材木店の集成材曲げ加工機や、鋼材と木質を組み合わせた特殊な耐火構造材の製作現場、そして大型パネル工場などを見学しました。志田社長の引き締まった体躯からにじみ出るチャレンジ精神が、会社全体に活力を満たしているように感じました。
その後は、昼食まで休憩無しの2時間セミナーです。15分ずつの7コマ。内容は志田材木店の取組から始まり、サトウ工務店佐藤社長のお話、雪国新潟でのZEHの取組、住まいを学ぶ「住学(すがく)」について、新潟県の森林・林業基本政策、佐伯広域森林組合の取組、そして森林列島再生論について。登壇者の協力で早めに進んだこともあり、追加で「日本モバイル建築協会」による「ふるさと納税企業版」を使った木造建築の物納についても紹介がありました。
さすが新潟と唸るような美味しいお弁当を頂いた後は、木造大型パネル(https://woodstation.co.jp/service/product.html)で建てられた建築物を視察しました。建築中の事務所の二階にはそこに使われた断熱構造の模型が置いてあり、その断面の厚みに驚愕しました。雪国で晴天が少ない地域、だからこそ大手の追随が難しい高断熱に力を入れるという佐藤社長の言葉が実感を伴って響きました。
二件目の建物は倉庫兼オフィスで、高い天井、広い開口部にも拘わらず、室内は温かく快適でした。工業団地の中にあり、当初は鉄骨造を考えていたものの、ウッドステーションの塩地会長と面識があったオーナーの意向で木造になったそうです。結果的に建築費は鉄骨と変わらず、居住性は遥かに高い建物になり、オーナーと息子さんの笑顔に満足度が見て取れました。
三件目は大型パネルではありませんが、地元の大手企業がついて開発中の「野きろの杜(もり)」という住宅地です。ここは建物の外壁を杉にする、という協定を結んでいて、設計士が自ら製材や合板工場を経営し、地元の杉をいかに使うかに知恵を絞りながら建設が進められています。建築が山に歩み寄る、これを実践している事例として今後も注目し、応援したいと強く思いました。
夜は新潟の食の豊かさと名物の「へぎそば」も味わえる豪華な料理で懇親会が催され、塩地氏の司会で笑いの絶えない宴となりました。
佐伯広域森林組合は、新潟県全体の算出量に匹敵する年間25万㎥もの原木を扱い、自前での苗の育成や適地への100%再造林を行いながら、製材業に乗り出し、更に地域材パネルという住宅部品の供給にも取り組んでいます。今回、森林組合の人々は、自分達がこれまで手掛けて来た林業・木材の世界から一歩進んで、建築の世界を更に深く知ろうと新潟まで足を延ばしたのです。この意欲は、受け入れ側の新潟の人々にも大きな影響を及ぼしたことでしょう。
ことに、サトウ工務店の佐藤社長が発起人となって5年前にスタートした「住学(すがく)」という会のメンバーが、今回10人以上も参加されたのは驚きでした。本来ならライバル同士、手の内を見せたくない間柄のはずの設計士や工務店経営者が、共存共栄・リンクとシェアを合言葉に互いを高め合ってきた、住まいを学ぶ勉強会「住学(すがく)」。二か月に一度、会員の中から持ち回りで発表者を決め、知見を共有し、懇親を深める会です。このような試みは他地域でもあるかもしれませんが、会員数が500名を超え、5年も続いているという例は恐らくここだけではないでしょうか。コロナの影響で講義をオンライン配信していることもあり、今では新潟に留まらず全国に会員がいるそうです。プロだけでなく、住宅に興味がある人、これから住宅を建てるために学びたいという方などにも門戸は開かれています。
森林組合の枠に囚われず、大胆に改革と挑戦を進める佐伯広域森林組合、そして知識をオープンにし、施主にとっても設計・施工側にとっても最適解となるような建築を目指す「住学」の人々、この両者の出会いは単なる学びに留まらず、大きな化学変化を呼ぶ起点になるに違いありません。なぜなら、山と建築が真の意味で歩み寄るためには、プロ同士の本気のぶつかり合いが不可欠だからです。一過性のお遊びでなく、事業として継続するための深い理解と繋がりを築く、今回はその第一歩になったと言えるのではないでしょうか。
初日からずっと、日本海側特有の曇天と小雨に震えていた私ですが、三日目に帰宅する際、新潟の空は一瞬、青く眩しい姿を見せて私たちを送り出してくれました。今回の視察旅行の成果がこのような未来につながるといい、心からそう感じた旅でした。

 

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