文月ブログ

森と生きるために-点の成功を面へ

私は2007年からの15年間、様々なセミナーや講習に参加し、日本の各地を訪ねて多くの人に教えを乞うてきました。FSCジャパンや、「文化遺産を未来につなぐ森づくり会議」などの団体にも参加し、森林再生に少しでも貢献する方法を探ってきたのです。一般企業で経理や営業管理を担当する日々の中、週末や有給休暇を使い、生活を切り詰めて地方にも足を運びました。林学を学んだ訳でもなく、実家が山林を所有している訳でもない、単なる応援者ですが、森の荒廃は未来が閉ざされることを意味すると感じていた私は、何とかしなくてはという使命感に駆られていました。
日本には、例えば「100年の森構想」を掲げる西粟倉村のような、森の資源管理と「床張りタイル」など製材品の高付加価値化、合板工場への出荷や村の温泉施設でのバイオマス利用を組み合わせた、理想的な林業を実現している例もあります。林業界で知らぬ人のいない三重県尾鷲市の速水林業なども、住宅以外の特殊な木材需要を取り込むなど、独自の林業を展開しています。しかし多くの場合、その手法は資産の継承や属人的な能力に負うところが大きく、他の組織が真似しようとしても簡単にはいかない、点の成功なのです。
例えば西粟倉村がうまくいった理由の一つに、町が昔から山林所有者の特定や境界線の確定を進めていたという事情があります。優秀な人材が家族で移り住み、仲間を集めてクラウドファンディングによる出資を募りました。(私も出資者の一人として何度も村を訪れています)経営の危機には志のある投資会社からの融資も得られました。彼らの挑戦と、血の滲むような努力には敬意を惜しみませんが、残念ながら他の市町村が同じことを目指すのは極めて困難です。
古くからの林業地を除き、日本の山林の多くは所有者が不明で、境界も明確になっていません。山を生かそうと思えばまずその整理からしなくてはなりませんが、膨大な手間と時間が必要で、苦労して判明しても立木の価格は1本数千円程度、伐って搬出する経費を補助金で補填しても、所有者の手元には何も残らないケースさえあります。
森林経営管理法の特例により、所有者不明の土地を一定の条件下で利用できるルールはありますが、原木価格が安いため、申請にかかる労力や、起こり得る訴訟リスクに見合わず、あまり実施されていないと聞きます。
放置された山には作業道も少なく、搬出のための道を作るだけで相当な経費がかかります。素材生産業と呼ばれるきこりの労働災害は全産業平均で最も高く、千人に一人以上が毎年亡くなるという厳しさです。にもかかわらず、彼らの収入は200~400万円程度でしかないため、就職しても夢を持てずに辞めていく人が少なくありません。
森林を生かしたくても、そこには二重三重の障害が横たわっており、全体の底上げには相当の力技が必要です。建築側は、国産材は品質と安定供給が課題だと言い、山側は、こんな価格では造林費用も出ない、投資したくても無理だと言い、常にニワトリが先か卵が先かの議論が繰り返されてきました。
15年の間に、成功していると評判の事業者を各地に訪ねましたが、そこで出会ったのは、いずれもその地域で独自の方法を編み出し、技術を磨き、利益を上げている「点」の成功者達でした。私は全国展開する企業で経理を担当していたこともあり、日本全体の面積や産出量に比べ、個別の成功者達の生産高がいかに小さなものかに意識を向けざるを得ませんでした。つまり、点の成功を積み重ねても面には広がらない、産業構造を変えるには、横展開が可能な、スケールアウトし得る技術・事業が必要なのです。
そんな時に出会ったのが、大型パネルでした。大工の減少を前提に、彼らの頭脳をソフト化し、負担を減らす技術、それをオープンにし、惜しげもなく技術移転を進めているのですから、必ず拡大していくに違いないと直感しました。そこに国産材を使うことができれば、全国どこにでも適用でき、利益を生んでいくはずです。
大型パネルは国産でも外材でも、何でも使える技術ですが、国産の無垢材には、加工精度や乾燥の状態など、まだ品質上の問題が影を落としています。それをどうしたら改善していけるのか、その意味でも、製材工場との連携や、製材業者自身が大型パネル工場を持つことを、推進・支援していきたいと思っています。

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