文月ブログ

森を巡る旅-言葉の探求その3「ボランティア会報誌」

会社で労働組合の委員長を3年務めた後、結婚と転勤を機に、私は組合活動から離れました。支店から営業本部へ、その後は本社に転勤となり、重要な業務を任されたことから、その後の10年ほどは仕事が中心の生活でした。しかし、どこか打ち込み切れない、その仕事を極めようと思えない自分がいて、虚無感に苛まれていたことを思い出します。
当時、世界的に環境問題が大きく取り上げられ、企業もそこに責任を持つべきだという欧米の動きを自社にも反映させようと、本社内の有志が集まって「自然クラブ」という勉強会を開いていました。ある時、そのメンバーの紹介で、箱根ボランティアという団体の行う定点観測に同行し、解説を聞く機会がありました。そして、自然の中を歩き、人々にその美しさや不思議さへの気づきを促す自然解説の魅力に取りつかれてしまったのです。
丁度その頃、解説員の新規募集があり、私は早速応募しました。そして思いを込めた応募申請書が功を奏してか、私は解説員の選考を通り、養成講座を受講して、2000年の秋にボランティア解説員に認定されました。箱根に行って解説を行うのは年に5回程度でしたが、それ以上に時間をかけて関わったのが、毎月発行されている会報誌の編集でした。
環境省の所管する団体だったこともあり、年間の行事予定やイベントの詳細は毎月の運営会で決められ、その議事録や日程表、定点観測で記録された鳥や植物の報告などを会員に共有するための会報誌が発行されていました。入った当時は本業が編集者というメンバーが手腕を発揮し、固くつまらない内容になりがちな会報誌を、楽しく読み応えのあるものにしようとしていました。私はその方に協力を依頼され、大涌谷・仙石原など複数のコースで実施されていた定点観測の報告ページを担当することになったのです。会社でテキストの入力はしていましたし、自宅にパソコンもあったので、メモ帳という機能を使い、コピー機を駆使して送られてきた写真やイラストを切り貼りし、そのコーナーの編集をしていました。しかし半年も経たないうちに、その編集者は病に倒れ、数か月後に帰らぬ人となったのです。病床でも最後まで編集を続けた会報誌が、その方の棺に入れられました。
その後、一年間は別の方が編集長を務めましたが、これ以上は難しいと、私にその役目が託されたのです。引き受けたものの、私はそれまでテキスト入力しかしたことがありません。ワードの入門書を購入し、自宅のパソコンで文書作成に取り組んだのは、発行日の一週間前のことでした。今思い出しても冷や汗が出るようなギリギリの編集作業、これがその後17年間続くとは、さすがに想像もしませんでした。
編集長になった際、定点観測のページと、発送先の住所の管理や封筒・コピー用紙の調達などはそれぞれ別の会員にお願いし、3人で発行を続けました。毎月送られてくる議事録やイベントの報告、定点観測の記録の他に、表紙には「TeaTime」というコーナーがあり、自然解説に限らず、何を書いても良いことにして、会のメンバーに順番に寄稿を依頼していました。自然保護団体の会報誌に趣味の話など相応しくない、と言って顔を顰める方もいましたが、このコーナーが会報誌に奥行きを与え、手に取って読むきっかけを作っていたと思います。最初の頃は、郵送されてくる議事録などを協力者にFAXし、テキスト入力をお願いすることも多かったのですが、17年の間にメールが普及し、高齢の方の寄稿以外は、本文や添付ファイルの文字をコピーしてそのまま編集ができるようになっていきました。
本業の仕事があり、2007年からは森林・林業というライフワークにも取り組みながらの編集でしたので、作業はいつも発送日の前日、時には夜10時の段階で1ページもできていない、という綱渡りを何度も経験しました。徹夜に近い状態で、翌朝の11時頃には、少なくて8ページ、多い月は16ページの原稿を仕上げ、発送作業をする横浜駅近くの「県民活動サポートセンター」に向かうのです。毎回、最後の仕事は裏表紙にある「編集後記」を書くことでした。短時間で、その号の印象に残った記事や、時事問題などに関する私見を400字程度にまとめます。これも当初は1~2時間かかるのが普通でしたが、最後には30分ほどで書けるようになりました。
内容を大きく変える余裕がなく、マンネリという批判も受けながら、17年間も続けた会報誌の編集でしたが、2018年にようやく後任に引き継ぐことができました。その間、1号も落とすことなく発行できたことを誇りに思います。文学的な表現はできなくても、わかりやすい文体で、短時間に一定の文章をまとめる力を養えたことは、本当に貴重な経験でした。
更に、ボランティアという、善意で集まった意識の高い方々の会であっても、生活感覚の違いや方法論などを巡り、様々なトラブルが発生することを目にしたのは大きかったと思います。もめ事が起こる時、良い人、悪い人という括りには全く意味がないのです。これもまた、森を巡る旅の大事な行程だったと思います。

関連記事

コメント

    • 小山英子
    • 2022.06.04 2:50pm

    いつも楽しく拝見しています。常に全力投球されている事に素直に感動しています。

      • shinrinrenketsu
      • 2022.06.04 2:57pm

      ありがとうございます。反応が返ってくるのは嬉しいものですね。これからもよろしくお願いいたします。

TOP