私たち人間や動物の体は、日々多くの細胞が壊れては新しく生まれ、外見上は何の変りも無いように見えても、中身は置き換わっていきます。生物学者で作家の福岡伸一氏の「動的平衡」という言葉に表されるように、分子レベルでは、半年前の自分と今とでは全く異なっているのです。
一方、樹木では生きているのは樹皮に近い外側の細胞だけで、太い幹は死んだ細胞の集まりです。日本では四季が明確なので、成長する春夏と、成長を止める秋冬の区切りが年輪となって刻まれます。成長の早い年には年輪幅は太く、冷夏や、周りに大きな木があって日照が遮られている場合などには、年輪幅が狭くなります。
つまり、その木がどんな状況で生育してきたのか、木の幹にはすべて記録されているのです。
だから、木材にはどれ一つ取っても、完全に同じものはありません。広大な地域に単一の樹種が広がるシベリアのタイガなどの場合、その違いは非常に小さいかもしれませんが、特に日本の森では、一斉に苗を植えた人工林であっても、斜面の土壌や水、日射などの条件の多様さにより、成長の度合いには大きな差が出ます。
その事が、現代の資本主義の効率優先の世界では、国産木材を不利な立場に追いやってきました。できるだけ均一なものを大量に安く得られることが至上命題とされたからです。
しかし、木材が一つ一つ違っている事、そこに価値を見出して付加価値を付けるような商品開発や売り方をしていかなければ、日本の森を健全に保つことはできません。
木材は森の記憶遺産、そう捉えれば、どんな木もできるだけ、無駄なく大事に使いたいと思うでしょう。森の記憶を大事にする家、そんな住宅に住んでみたいと思いませんか?
文月ブログ
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