文月ブログ

80年前の景色を想う

 朝の情報番組でサラダが特集されていて、改めて気づいた事がある。日本で生野菜のサラダが食べられるようになったのは、戦後、進駐軍が生野菜を食べたいと、生食できるレタスを栽培するようになって以降のことだそうだ。日本人はずっと昔から魚介類を生で食べてきたが、野菜には火を通していた。それは土に混ぜ込む肥料として屎尿を使っていたからだろう。肥溜めで十分に発酵した人糞は病原菌や寄生虫がかなり減少するとは言え、ゼロにはなりにくく、野菜を生食すれば腹痛など体調不良を引き起こすリスクが高かった。GHQのマッカーサーが屎尿由来の肥料を禁止し、日本政府は「寄生虫予防会」を各市町村に作って、人糞肥料から化学肥料への一大転換が行われた。しかし1955年頃になっても野菜の生食を戒めるポスターがあったほど、切替には長い期間を要したらしい。現在では、下水処理場の汚泥から主にリンが取り出され、輸入肥料の高騰もあって利用が進められている。
 山林の姿も、80年前は今とは大きく異なっていた。戦争末期には松の根から航空燃料を作ろうとしたほど、あらゆる資源の欠乏によって多くの木が伐られ、いたるところに禿山が広がっていた。戦後、1949年に今の全国植樹祭の前身である「愛林日記念植樹式」に天皇が行幸されて以降、全国に緑化運動が広がったようだ。「禿山は郷土の恥」という言葉もあり、競うように山に苗木が植えられた。当時は木材不足が著しく、燃料革命によって薪や炭が売れなくなる事もわかっていたので、禿山だけでなく、薪炭林だった広葉樹の森も伐採され、スギ・ヒノキ・カラマツなどの針葉樹が植栽されていった。1950年代から30年以上続いた「拡大造林」と言われる政策によって、およそ400万ha、現在の人工林の3割強にあたる面積が姿を変え、今に至っている。
 ちなみに、木材も実は生鮮野菜に似たところがある。特に夏は、原木を林内に置いたままでは虫が入ったり腐ったり、長く置くほど劣化しやすい。しっかり製材・乾燥をして適切に保管すれば品質を保てるが、そうすると保管料が高くついてしまう。種を蒔けば一斉に収穫時期を迎える野菜と違い、木は山の中に生やしておけるのだから、使い道を決めてから伐り、新鮮なうちに住宅部品にまでするのが最も合理的な方法だろう。必要に応じて自分の畑からフレッシュな野菜を摘むように、家が欲しいという人の要望に応えて木を伐り、森と自分の暮らしを維持するのに十分な対価を得る、そんな事を可能にする技術が開発されつつあるのは大きな希望だ。。
 時の流れには、忘却や風化、崩壊・散逸といった負の側面があり、私達の体も老化には逆らえない。しかし樹木には、時の流れをプラスに変え、成長・剛性・熟成・尊厳・継承を体現し続ける力がある。植えて育てた人たちの想い、蓄積したその価値を無駄にせず、更に先へとつなげたいと思う。

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