明治期の林業を調べていたら、林野庁HPのある記述が目に留まった。昔から木材は川の流れを利用し、筏を組むなどして遠くまで運ばれていたが、それを変えたのは日露戦争前後の急速な発展による電力需要だという。送電技術の発達と相まって、明治末期から大正期にかけ、全国各地の主要河川に水力発電所の建設が始められた。そのために木材を川に流して運ぶことができなくなり、もともとあった牛馬や車両・軌道による輸送に加え、明治43年(1910年)の津軽森林鉄道を皮切りに、各地に森林鉄道の敷設も進められた。
もともと、管流し(くだながし)や筏流しなど水運を利用した木材搬出法は、水量などの関係で季節的制約を受けることが多く、流送途上の木材損耗、流域河川や田畑への被害、河川改修や流失材の回収にかかる労力と経費など、運材上の欠陥が多かったそうだ。それでも、人々が慣れ親しんだやり方を変えるのに抵抗が無かったはずはない。ただ、「坂の上の雲」で司馬遼太郎が書いているように、「明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く」しかなかったのかもしれない。
山と海の恵みは繋がっている。山から来るミネラルが海の恵みを育てることを漁師は良く知っていたし、川を下って来る木材で時には損害を被ることがあっても、建材や船財として重要な資源であることを、中下流域の人達も肌感覚でわかっていただろう。木材が陸送に変わることで、流域で成立していた経済圏も一体感も、変わっていったと思われる。
今、電力需要は別の形で木材利用に変化をもたらしている。2012年に始まった再生可能エネルギーの固定価格買取(FIT)制度により、これまで林内に放置されていた根本や傷んだ部分、場合によっては枝葉なども回収すれば発電所に売れるため、林業経営を底支えしているのは間違いない。一方で、発電所が増えると燃料の奪い合いになり、価格が高騰して合板や製紙向けの原料と競合してしまう。最悪の場合、本来なら製材品に使える良質材まで、仕訳の手間をかけずに燃やされるという事が、実際に一部地域で起きているようだ。
壮麗な首里城が数時間で焼失したように、木材は燃やせばあっという間に無くなってしまう。発電は投入したエネルギーの2割程度しか取り出せず効率が悪いが、熱利用なら9割になる。丸太を四角にすれば使えない部分は出て来るので、それを投入する給熱もしくは熱電併給ボイラーが、望ましい木質バイマスの利用法だと思う。
水力発電は1950年代初頭まで日本の電源構成の主役だったし、今でも山間地のダムは飲料・農業用水や河川の洪水調節など、重要な役割を果たしている。それと引き換えに失われた河川の木材搬出路としての機能を思い起こし、流域内の緊密な関係性を取り戻していくきっかけにできないだろうか。山に苗を植えた人々の想いは、太陽光と雨に育まれ、山肌を覆って多くの水を貯える森に姿を変えて、今も流域と海を豊かにし続けている。
文月ブログ
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