文月ブログ

住宅建築に潜むもの

ある人から怖い話を聞いた。豪華な宮殿も、荘厳な寺院も、基本的に建築は全て「人」を支配するための装置だという。自分の権威を示し、人々が己にひれ伏すよう仕向けるための道具だと。言われてみれば確かにそのとおりで、貴重な遺産だと称える行為は、建築を指示した人間に未だに支配されているということでもある。
更に背筋が寒くなったのは、日本の伝統的な住宅に関する指摘だった。家の正面にある大きな玄関を入ると、右か左に二間続きの大きな仏間があり、立派な仏壇にご先祖様が祭られている。普段はあまり使われず、暗く湿気の多い空間だ。幼い頃によく行った祖父母の家が正にそうだった。玄関はご先祖様を迎え入れるためのもので、家人は勝手口の方を良く利用したりする。この作りが何を意味するかと言えば、先祖を大事にする=血脈の正当性の誇示だと言うのだ。自分がこの家の嫡男だ、だからこの家では俺が全てを決める。そういう心象を、住宅が補強しているのだと。
なるほど、と思った。
今、話題になっている朝ドラ「虎に翼」では、敗戦後にGHQの主導で新憲法が制定され、民法もそれに伴って改訂される様子が描かれた。保守的な長老は「家」制度の廃止に強く抵抗し、理解のある男性判事も、この法律が本当に日本に根付いていくのかはまだわからないと呟いた。76年経った今でも、なぜ田舎から多くの女性が都会に出ていくのか。なぜ田舎では高齢者が力を持ち、若者や移住者に抑圧的な態度を取るという話を耳にするのか、それは住宅が彼らに特権を保障しているからではないのか。法律は明文化されているから読めばわかるが、住宅は何も言わず、しかしその間取りによって家長の権威を裏付け続ける。大黒柱という言葉に象徴されるように、木材はその構造を支えている。
都市部ではアパートやマンションが増え、戸建てからも和室や床の間が消えていった。柱は壁の向こうに隠され、フローリング材は塗料に覆われて、幼い頃に雑巾がけをしたあの床の感触とは違う。家父長的権威の消滅と、住宅の変容とが時を同じくして起こったことは、ただの偶然ではないように思える。
高度成長期以降、日本の森林から関心が離れ、放置される事態も起こった。住宅という形で常に身近にあった木材は、人々の生活から遠いものになっている。期せずして失われたそのつながり・手触りを取り戻すことが、人々の森林への関心を呼び戻すきっかけになるのかもしれない。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP