文月ブログ

木々に寄せて-その9「黒文字」

森の中には、高木になる木ばかりでなく、低木でも存在感を発揮する木が沢山あります。中でも私にとって思い出深いのが「クロモジ」です。箱根の山中に多く自生していて、ゴールデンウイークの時期に黄色い花を咲かせるため、自然解説の中で必ずとり上げる定番の樹木でした。雌雄異株であり、雌雄どちらも散策路のすぐ脇にあるので、説明がし易かったのです。緑色の地肌に黒い斑紋が出て、それが名前の由来になったこと、良い香りと抗菌作用から和菓子用の高級楊枝に使われ、それ自体が「クロモジ」と呼ばれることなどを説明しました。落ちている枝を拾って(国立公園内のため、枝を折ることは許されません)、折り曲げたり爪で皮を剥いだりすれば、強い芳香を放って参加者の嗅覚にも訴える、ボランティア自然解説員の強い味方でした。
数年前に知人が始めた「林業バー」という即席イベントでは、1センチくらいのヒノキのキューブを浮かべたウイスキーの水割りや、クロモジの枝を一晩漬け込んだジンの炭酸割りなどが提供されていました。クロモジは人工林の中にもよく繁茂するので、林業従事者にとっても親しみのある樹木なのでしょう。はじける泡が森の香りを運び、一般の人達が林業への関心を持つきっかけを作る、良い試みだと思います。
伊豆半島の西側にあるリゾート地、伊豆高原のホテルに泊まった時、部屋にクロモジの香りが漂っていました。仲居さんの説明では、数十年前に、その地域でクロモジの香料が生産され、輸出されていたらしく、その復活を目指しているとのことでした。アロマが流行り始めた頃で、かつての特産品に再び光を当てようという機運が高まっていたのでしょう。その後どうなったかはわかりませんが、庭に面した離れのような客室で、清らかな香りに迎えられた時の安心感・満足感は今も忘れられません。
クロモジの香りには鎮静効果があり、マリリン・モンローの宣伝で有名な「シャネルNo.5」に使われた、ローズウッドという香料にとても近いと聞きました。ローズウッドは希少な植物なのに比べ、クロモジは関東以西に広く分布し、どこにでもある樹木です。岐阜にある家具メーカーを見学した際、日本の森を元気にするために、林床に生える植物から価値を生み出したいと、クロモジをはじめとする様々な樹木の枝から、香料を抽出して販売する事業に力を入れていると伺いました。中でもクロモジは、採取が容易で安定して仕入れられる事に加え、その鎮静効果が医療や福祉の分野でも注目されていると、力強く訴えられていたのを覚えています。有名な音楽家がガンの治療をされていた時、ご家族が密かにそのメーカーを訪れ、クロモジの香料を購入されたとも聞きました。クロモジの香りが、抗がん剤の投与に伴う副作用を軽減するという話を伝え聞き、藁にもすがる思いで来られたのでしょう。もちろんクロモジは医薬品ではなく、この話の真偽はわかりかねますが、「香り」に、能に直接働きかける力があることは確かなようです。
明るい林床や散策路の脇などに、花の時期以外は目立たない、地味な存在として成長しながら、その独特の芳香で人を癒してくれるクロモジは、これからも森を訪れる度に、私達をにこやかに迎えてくれることでしょう。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP