文月ブログ

首里城を巡る風

友人の集まりで沖縄に行き、ホテルから歩いて20分の場所にある首里城公園を訪れた。ここに来るのは三度目で、前回は威厳に満ちた正殿の中を歩きながら、吹き抜ける風に何とも言い難い不思議な思いを抱いた。古代の文字や囁きが散りばめられた空気というか、人の思いが溶け込んだ水流に打たれるような感覚とでも言おうか。その建物が火災で焼失し、その空気も失われてしまったのだろうかと思いきや、決してそうではないようだ。
守礼の門をくぐって石造りの城郭を登ると、正殿は「見せる復興」の途上で、400円を支払うと工事の様子を見学できる。今日は週末で作業は実施されていないが、朝早い時間でまだ観光客も少なく、ゆっくりと見ることができた。工事は大きな体育館のような施設の中で行われ、その壁面には完成時の姿が大きく描かれている。一階から三階まで、各フロアにガラス張りの一画が設けられ、作業の様子を眺められるようになっている。と言っても一度に30人しか入れないので、観光客が多ければ長居は難しいだろう。工事の全体像や手斧(ちょうな)のような伝統工具を展示した一階、使用される木材の説明があり、広い作業スペースを見渡せる二階、そして三階に上がると既に素屋根が組み上がり、軒先が優美な弧を描いている。この建物の構造材の多くはヒノキで、全国各地から運ばれたことが、設置されたモニターでも紹介されている。ただ象徴的な意味合いの強い特別な部分だけは、梁に国頭村のオキナワウラジロガシ、正面の柱に長崎県のイヌマキが使われたとある。
正殿の見学を終え外に出て、地形に沿って曲がりくねる石の階段を登り降りしていると、頬に当たる風に、あの感覚が蘇ってきた。無数の囁き、幾億の文字、振り返っても誰もいないが、一人ではない。
多分、自然の力を畏敬し折り合って生きてきた琉球の人達の思いがあの場所に深く、厚く堆積していて、建物はその圧力を受け止め、現代の私達が過去と交信するための通信所、変換装置なのではないか。だからこれまでもそうであったように、何度焼けても復元される。首里城を吹き渡る風には、あの場所自体がそれを求める声が、聞こえない音域で響いている。
ガジュマルの気根が微風に揺れ、ソテツは不変の意思を示すように佇む。首里城の石垣を見上げながら、「場」それ自体が求める建築というものがあるのだと感じた朝だった。

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