昨年の秋から、岡山県美作市の右手(うて)という地区で農泊推進事業に関わっている。岡山県の北東部、鳥取との県境に近い地域だ。ここは水源の里で、標高600~800mの中国山地から幾つもの支流が谷を削り、梶並川に注いでいく。清流で釣りを楽しめる養魚センターや、快適なコテージ・キャンプ場もあり、シーズンには県外からも多くの人が訪れる。7つある集落の人口は減り続け、141人のうち100人が65歳以上(高齢化率70.9%)だが、地域おこし協力隊の若者や地域の人々が力を合わせて、交流人口を増やす取り組みを続けている。
そんな右手には、木地師の伝統を受け継ぐ里がある。木地山集落は9世紀に滋賀県東近江から木地師が移り住んだと言われ、森林と共に繋いできた技術が今も残っている。この地の共和林業にある「水車製材」は、林業遺産に指定されている。小椋(おぐら)という姓を持つ人は全国におられるが、そのルーツが木の器や皿を作る木地師だというのはよく知られた話だ。陶製やプラスチックの器の普及で、これを生業とするのが難しくなり、一度はほとんど廃れてしまった。しかし伝統を継承しようとする動きが芽生え、行政の後押しを受けて、昭和50年頃、集落に「木地師の館」が建てられた。ここではヒノキ・トチなどの天然木材を使用して、菓子器や盆など本格的な木地細工を体験することができる。木地細工は、木の性質を見るために2ヶ月間寝かせるなど、本来は1つの製品を仕上げるまでに3ヶ月から半年かかる工芸品だが、短時間で作れるように多くの半製品がストックされている。
しかし館の会館日は月に2回のみで、指導できるのは全員が小椋性の6人、最も若い33歳の一人を除けば高齢者ばかりだ。ここで作られた細工物は美作市が贈る記念品に採用されているが、直接販売できる機会は少ない。漆の工芸作家に素材として卸すこともあるが、完成品は一点数万円の値段でも、木地は数千円にしかならない。正直なところ、伝統とは言え手作業の技術を継承していくのは相当難しいのではと私は考えていた。
ところが、実際にろくろを回し、刃を当てて木の皿を削り出す体験をしてみると、その奥深さにすっかり魅了されてしまった。皿の裏側のくぼみに器具を固定し、電動ろくろを回しながら、彫刻刀のような大きさの、しかしもっと分厚い刃を押し当てて少しずつ削っていく。飛び散る木の粉が全身に降りかかるが、そんな事は気にせずひたすら刃先に集中する。皿の中心から外側へ刃をずらしていくと、鈍い音を立てながら、自分が力を入れた部分が輪を描いて波紋のように広がり、滑らかに削られていく。爪を立てても簡単には跡が付かないような木の硬さは、樹木が風雨に耐えて立ち続けるために、長い時間をかけて作り出した細胞の強さだ。それを削りながら自分の望む形にしていく作業は、まるで木と会話しているような感覚を生み出す。形ができあがると、最初は粗いものからごく細かいものまで、何種類もの紙やすりで磨いて仕上げていく。私の選んだホウの木は、乳白色の木肌に柔らかな茶色の木目が浮かぶ、優美な皿になった。
樹木との対話、あるいは木の命を自分の生活の道具として迎え入れる儀式と言ってもいい。自分で作った器には特別な愛着が湧き、毎朝の食卓で、黄金色のトーストをより美味しく感じさせてくれる。かつて生活に欠かせない器を作っていた木地師の技は、今は都会の人々に、木と暮らすことの意味、その手触りを教える術になったと言えるかもしれない。
幸い、美作市の予算が拡充され、次年度からは開館日が月8日程度になる見込みと聞いた。釣りやキャンプで訪れる人にも、木との対話を楽しんでもらえたらと思う。
文月ブログ
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