文月ブログ

森を巡る旅-「山田旅館」

長野県小谷村、妙高戸隠連山国立公園の標高850Mの山腹に、山田旅館は建っています。江戸、明治、大正、平成とそれぞれの時代に建築された建物が軒を連ね、うち6棟が登録有形文化財になっています。江戸時代に作られた本館は今も客室として使われており、文化財に泊まることができる、珍しい宿なのです。
川中島の合戦(1555年)の折に武田信玄の家臣が発見したと伝わる元湯は、加水も加温もせずかけ流しされていて、効能も高く、450年の長きにわたり湯治場として多くの人々に愛されてきました。ご主人の話では、昔は旅館にいつも沢山の杖があったそうです。杖をついて歩いて来た人が、湯治により普通に歩けるようになり、杖を残していったからです。
旅館の敷地には資料館があり、長い歴史を物語る所蔵品が展示されています。中でも、戦国時代の所領の安堵状はとても興味深いものです。土地を巡る争いの結果、この地域を当主のご先祖のものとする裁定が記載され、範囲を示す地図も描かれています。そこに至るまでに、多くの血が流されたかもしれません。負けた側は没落していった可能性もあるでしょう。綺麗ごとでは済まない、激しい争いの果てに手に入れたものですから、自分達の権利の拠り所として、大切に保管されてきたのだと思います。他にも、古い道具や写真、絵画や揮毫も残っています。中に西郷隆盛の弟、西郷従道の名前のものもありました。従道がここに滞在して書いたのか、それとも価値のあるものとして人から譲り受けたものかはわかりませんが、湯治場としての繁栄と、それに伴う富の蓄積を伺わせます。
一度訪れてすっかり気に入り、親しい友人達にも見せたいと再訪した私達に、ご主人は本館の、一番眺めの良い部屋を取っておいてくれました。窓からは二本の杉の巨木と、宿の前を走る道路が刻まれた、深い渓谷が見渡せます。エレベーターもなく、部屋と廊下を仕切るのは襖一枚という不便さはありますが、昔ながらの温泉旅館の風情に、友人達もとても満足してくれました。
そんな山田旅館ですが、冬は豪雪との闘いが待っています。ご主人がYouTubeに「雪と生きる」という動画を投稿されているので、興味のある方はご覧ください。時には一日で1メートル以上も積もる雪を、もう一人の男性と組んで、毎日のように屋根から降ろします。文化財の木造建築は6棟ありますから、それを守るために、私達の想像を遥かに超える過酷な雪下ろしが必要なのです。午前中に作業を終えて、昼食を食べた後で外に出ると、また積もっていて愕然とすることもしょっちゅうだとか、それでも笑いながら、苦役と思わず続ける姿には、神々しささえ感じました。
これほどの雪に耐え、江戸時代から使われ続ける建物は、主にケヤキの柱や梁でできているそうです。堅くて水を通さず腐りにくい、しかし乾燥が不十分だと暴れて家を傾けるとも言われる木です。神社仏閣にも使われる高価な木材をふんだんに用意できる豊かさを、良泉が生み出してきたのでしょう。そしてそれを守り通す信念が、この家に代々伝わってきた本当の宝なのかもしれません。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP