箱根でパークボランティアの研修を受けた時、ブナが木偏に無と書いて「橅」とされるのは、材が腐りやすくて役に立たないからだと教えられました。大木になるのに建築などにはあまり使われない、残念な木だと思いましたが、同時に「緑のダム」という言葉も聞きました。山に雨が降った時、大量の葉でそれを受け止め、雨水が一気に下に流れるのを防いでいると言うのです。一本の木に百万枚もの葉をつけるとも聞き、その真偽は定かではありませんが、保水力が高いというのは本当のようです。ブナの大木には、幹に水の通り道がくっきり見えるものがありますが、これは湿気の多い部分に地衣類が繁茂しているせいかもしれません。
ブナの実は、5~7年に一度しか豊作になることが無いそうです。それ以外の年はネズミなどに食べ尽くされてしまう確率が高い上、雪の少ない太平洋側では、せっかく芽吹いても乾燥によって枯死しやすいと言います。落ちた種から芽吹き、若木に育つものはごくわずか、しかも初期成長が非常に遅いため、箱根の仲間たちは、ブナの若木の周辺に縄を張り、人が立ち入らないよう守っていました。
ブナの森で一番印象に残った経験は、雨上がりの日の出来事です。ブナは雪の多い地方では純林を形成することも多いようですが、箱根では、ブナの森と呼ばれる場所でも、他の樹木や低木が沢山茂っています。ある日、明け方まで降った雨が止み、私と他のメンバーは湖尻から大涌谷に向かう石畳の道を登っていました。途中、ブナの森を通る脇道に足を踏み入れると、目の前の空間の至るところに、数百もの、銀色に輝く三角形の飾りが掛かっています。飾りの一つ一つは、細かい雨粒が真珠のように連なった、無数の蜘蛛の巣でした。声を上げるのが憚られるような荘厳な景色に、息をのんで見入ったのを覚えています。少し風が吹けば雨粒は振り払われ、日が照れば水分はすぐ蒸発してしまいます。風の無い、曇った雨上がりの朝だったおかげで、見ることのできた光景でした。
秋田では、後生掛温泉に泊まって周辺を散策した際、樹形のよく揃った、見事なブナ林を歩いたのを覚えています。新潟の十日町市に、「美人林」と呼ばれる、立ち姿の美しいブナの林があるそうですが、そこにも匹敵するのでは、と仲間の一人が言っていました。山を歩いた後は、温泉と湧き水で冷やしたビールが待っています。自炊の湯治は二泊三日と短い期間でしたが、仲間と協力して料理を作り、他のグループとも分け合って、日に何度も温泉に浸かりながら気ままに過ごした体験は、ブナの緑と共に忘れられない思い出です。
ブナは北海道南部から九州まで、ほぼ日本全国に分布しており、木材として目にする機会は少ないものの、森林では欠かすことできない重要なキャストです。葉脈の部分がへこんだ、愛嬌のある葉の形は独特で、とても親しみを覚えます。役立たず、と言われながら、実は無限の包容力と隠れた気配りで、森の秩序と生産活動を見守る存在だと思えます。静かに、何も語らずとも、今日も森の治水を担い、多くの生き物の命を養うブナのような生き方の尊さを、忘れてはいけないなと思います。
文月ブログ
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