先日、再造林に関するレポートを掲載したが、そこには全国に再造林を広めるヒントが見当たらないとのご指摘を頂いたので、まとめを繰り上げて掲載しようと思う。
今回のツアーを通して、自分なりに整理できたことをまとめてみる。
① 再造林には地拵えコストの削減が重要
② 再造林では柔軟な勤務形態と山造りの喜びが稼ぎにつながる
③ 山を高く買うことが過剰伐採を防ぐブレーキになる
④ 「再造林をする人から家を買いたい」と市民に思ってもらえれば未来が変わる
前回のレポートでは、再造林において地拵えがいかに大きな要素で、伐採事業者の作業の仕方がその後の再造林を苦役にも天職にも変え得ることを報告した。宮崎県はもともと70%だった再造林率を、条例による補助率の嵩上げや、作業基準を順守する業者を集めたネットワークの構築により、90%に引き上げようとしている。伐採地のパトロールなど、関係者の本気の行動が状況の改善につながることを願っている。
一方で、機械化が進む伐採に比べ、森を育む造林には「人が山の時間に合わせる」働き方が理に適っているのでは、という思いが強くなった。耳川広域森林組合のホームページを始めて見た時、賃金の男女格差を縮め、有給休暇の取得率を上げようとする取り組みが紹介されていて、ああ、この組合は従業員を大切にしようとしているなと感じたのを覚えている。作業員の直接雇用に拘ってきたのも、不安定な日給月給などではなく、働く人を守ろうとした結果なのだろう。しかし、例えば動物園の飼育員が9時から5時の仕事ではあり得ないように、命と向き合い育てる仕事は、臨機応変で責任感とやりがいを感じられ、それが稼ぎにつながる働き方が合理的なのではないだろうか。
③について、従来は歩調を合わせていた伐採と再造林が、ウッドショック以降、伐採のペースアップに再造林が追いつかないという事態が、宮崎だけでなく他の地域でも起きている。最近ではバイオマス発電所の相次ぐ稼働がその傾向を後押しし、地域によっては手入れ不足の林分が丸ごと燃やされている。こんな状況を変えられるのは、木材を高く買う事業者だけだ。野菜や果物と違い、木は山に生やしておくことができる。量は少なくても、地域に高く買う事業者がいれば、山主は例え数年待ってでも、そこに売りたいと思うだろう。
最後のまとめとして伝えたいのは、山側が建築の足元まで踏み込むこと、森林の恵みの中で金額的に最も大きく、相場に左右されない「住宅」という商品を、市民が「木を植えて育てる人」から買いたいと思えるようにすることが、現状を打開する道だという提案だ。
佐伯は製材工場を中心として合理化された施業・生産体制を作ってきたが、住宅着工件数の長期低落で製材品の価格が下がれば、巨額の損失を出して再造林の継続に支障が出る事態も懸念される。製材に重きを置く故に、その先の住宅供給にまで中々踏み出せないのが弱点と言えるだろう。一方の耳川は自前の製材工場を畳んで身軽になった。自らも出資するデクスウッド宮崎事業協同組合の工場と連携し、市民に向けた住宅供給に乗り出せば、一気に材価を上げられる可能性も十分にある。
山側が建築に取り組むと聞けば、これまでは夢物語と一笑されただろう。しかし木造大型パネルや概算見積もりAIといった先端技術によって、その実現可能性は飛躍的に高まっている。農家がレストランを経営して自家製の野菜を使った料理を出すように、木を植えて育てる人が地域材の住宅を建てて販売すればいい。少ない見返りの中でも必死に再造林を続けてきた耳川の人達こそ、市民の信頼を得て住宅を供給するのに相応しい。施主の支払った住宅代金は、外部に流出することなく地域内で循環し、再造林の費用にも充当されていく。誰もが地元の木材でできた家に住み、森と共に地域の暮らしが続いていくことを実感できる、そんな姿を描けないだろうか。
佐伯では、新卒の職員に何故入ったのか理由を聞くと、地元の信用金庫に勤める親に、森林組合が良いと勧められたからと答えた。日向市では、木材産地であることを誇りに思う市民の意識が広告の無い駅を作り、子供たちの手で木製ポラード(車止め)の定期的な補修が続けられている。そんな風に市民に信頼され、地元を支える林業・木材産業の姿、そして彼らが今後更に市民に近い存在となっていく様子を、是非もっと多くの人に見てもらいたいと思う。お世話になった関係者すべてに深い感謝を捧げ、自分のすべきことが明確になった、幸福な旅を締めくくりたい。
(終わり)
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