成長という言葉を調べると、生物や物事が発達して大きくなること、とある。心の成長とか経済の成長という言い方もされるが、それらは目に見えないし測り方によっても変わる。成長という言葉の根源的な意味は、やはり生き物が生まれて日々大きく育っていく変化を差すのだと、ある人に教わった。どんな子供でも、大きくなったね、と大人に褒められる。子供が呼吸し、食べて遊び、良く眠る、それによって身長が伸び、体つきが次第に変わっていく様子を、大人はそれだけで肯定し、笑顔を向ける。それは障害を持つ一部の人を除けば、誰しもが享受できる平等で平和な価値観だ。
第二次大戦後、日本中に広がったはげ山にスギ・ヒノキ・カラマツなどの針葉樹が植えられたのは、育林方法が確立していて、建材の不足から将来の高値が期待されたからだ。戦争からの引揚者が多かった山村の雇用対策の側面もあった。1950年に始まった全国植樹祭で天皇皇后両陛下が各地を行幸し、荒れた国土に木を植えて国民の心を癒そうとしたこともあり、「はげ山は郷土の恥」という意識が浸透したと聞く。そうして1950年代から60年代にかけ、約500万㏊だった人工林は現状の1,000万㏊に増えた。(R5年度林業白書)
その後、高度経済成長によって山村の労働力は都市に吸い寄せられ、間伐などの手入れをされなくなった木々の多くは良くて間柱か合板、他にはチップかバイオマスしか使い道のない有様になった。しかし遠目に見る山は緑に覆われていて、ほとんどの人はそんな問題があることなど知りはしない。長引くデフレ、経済の停滞、ずっと変わらない(ように見える)街路樹や山並み、そして少子化。私達はいつしか、成長の喜びと幸せを目にする経験を失っていったのではないだろうか。
人が植えた森は、人が管理し、育ったら伐って使い、また植える「更新」が必要だ。木材価格が長期にわたって低落する中、それを愚直にやり通してきた森林組合がある。彼らの管轄する市内に入ると、どの方向を見ても、山の斜面には様々な年齢の若木が育っている。一定の面積の木が全て伐られると、当初はむき出しになった山肌に痛々しさを覚える。しかしそこに苗木が植えられ、雑草を刈ったり巻き付いたツルを外してやったりすれば、数年後、若木は生い茂る夏草に負けない高さにまで伸び、すくすくと成長していく。その様子を見続けてきた市民は、木を伐って使うことを自然破壊だとは感じないだろう。彼らが手をかければ森は保たれるという、森林組合への信頼がしっかり根を下ろしているからだ。
そんな森林組合を訪ねる旅を、今月下旬に計画している。「森林列島再生論」の中で務めた「森林添乗員」という役割を、今年はリアルに実行していく。長年、苗木の成長を支えてきた人々が山腹に描いた緑のモザイク模様、その美しさと生み出す正のエネルギーは、現地を訪れてはじめて感じ取れるものだ。今回は林業関係者が対象だが、受け入れ側の事情が許せば、いつか一般の人々も案内できたらと思っている。成長する若木は私達の瞳を捉え、空に向かって伸びたいと訴える。人々の共感を呼び起こすその力が広がることで、今は間伐中心の林業地でも森林の更新が進んでいく、そんな未来を願いながら。
文月ブログ
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