文月ブログ

森の時間

科学の進歩は私達に、宇宙の始まりが約138億年前だとか、ホモ・サピエンスがアフリカを出て世界中に広がり始めたのが約6万年前だとかを教えてくれた。その一方、ハイスピードカメラの普及によって、一瞬の出来事が引き延ばされることも起きた。水面に水滴が落ちた瞬間、美しい王冠(クラウン)のような造形ができる様子を、私達の祖先は誰一人見たことがないだろう。目に見える地平の彼方に広がる果てしない世界。地球は、膨大な時の流れに一瞬浮かんだ、小さなガラス玉のようだ。
自分が何者なのか、これまで何を成し得たのか、64年も生きてきたのに、私にはこれと言えるものが何もない。漠然としたその不安が、私を森林に向かわせたのかもしれない。私だけではなく、森に向かう人には、現実の社会でどこか満たされない思いを抱えた人が多いように感じる。
港町は、やって来ていずれ去っていく人の事情を深く詮索しない。それで聞かれたくない過去を持つ人が多く吸い寄せられる。森には、人の多く暮らす都市や郊外とは違う時間が流れている。穏やかで多様性に満ち、都会で車輪から振り落とされた自分でも、生きる術があるのではと感じさせる。一見何も変わらないように見えて、実は20年も経つと木は大きく育ち、すっかり景色を変えてしまったりするのだが。
困るのは、都会のスピードと効率を、樹木の伐採と搬出だけのために持ち込む人達だ。戦後の荒廃から長い時間をかけて回復してきた森を、化石燃料を掘り出すのと同じ勢いで伐り出し、後に植えて育てることを自分の仕事ではないと打ち捨てて恥じない、それは自分達に与えられた時間を超えて消費し、子供達から未来の時間を奪う行為だと思う。
森に流れる時間は人に優しい。戦いに敗れてきた人も、当り前の人生はつまらないと漂流する人も、森の時間に身を浸すことで、それまでに費やした時間の意味を変えられる。そんな森の魔法が、永遠に続いていきますように。

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