文月ブログ

物質と生命の間で

GWに、ベランダの植え込みやプランターの草取りをした。去年の秋以来、どこからか種が飛んできて根付いた、数十種類の草木を引き抜き、抜けないものは鋏で切ってゴミ袋に詰める作業。楽園を築いていた彼らから見れば、私は世界の破壊者で虐殺者だと思いながら。近年の研究によれば、植物も人の耳に聞こえない音を発したり、攻撃に対して化学物質を合成して反撃したりすると報告されている。そんな知識を得ると、草取りの間、ベランダは阿鼻叫喚に満ち、多くのメッセージ物質が空気中に放たれ、近所の植物達を身震いさせる様子が頭に浮かんでくる。それでも、放置すればコンクリートも浸食する自然の猛威から、自宅を守るためには仕方がない。
科学技術は私達の認知の幅を拡げ、ぼやけた輪郭を際立たせる。咲く花を手折ったり大木を伐ることに後ろめたさを感じたりする私達は、実は植物が叫んでいることを、どこかで気づいていたのではないか。しかし自分達が生きていく上で、多くの命を奪うという業から逃れることはできない。だからこそ、命を奪うだけでなく生み出そうともするのだろう。
先日聴講した講義の中で、ローマ時代のコンクリートは今も強化し続けていると聞いた。最近ではCO2を吸収するコンクリートの開発も進んでいるらしい。それはまるで生命体のようなふるまいだ。脳が筋肉を動かすのは電気信号、代謝は化学反応で、物質と生命を分けるものは、広がろう、満ちようとする意志だけのように思える。山川草木に神を感じる日本人の感覚は正しくて、コンクリートもガラスも、地球という大きな生命体から見れば、細胞の一形態と言っても良い。物質産業から生命産業へ、私達は回帰していくのではないだろうか。

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