私達は冒険遺伝子を持っていて、それがホモ・サピエンスをアフリカから全世界へ拡散させる後押しをしたという説をテレビ番組で知った。人口が増え過ぎて食料が不足したり、他の部族から攻撃を受けたりといったやむを得ぬ事情だけでは、大規模で急激な拡散の説明がつかないらしい。
先が見えなくても新天地に賭けてみる、そこにはただ闇雲に突き進むだけでなく、ある程度の計算が働いたはずだと思う。一つの集団の日常の行動範囲が半径数キロだとしても、木の実の不作などでより遠方へ、野宿して2~3日以内に帰って来られる範囲まで獣道を進むことはよくあっただろう。昔読んだ物語の中に、海の遥か彼方であっても、海流が運んで来る漂流物や鳥の飛び方などで、海洋民はそこに陸地があることを知ることができたと書かれていた。感覚を研ぎ澄ませて、微かな手掛かりを頼りに船を進めたのだろう。
未知の土地を行く際、一番怖いのは獣ではなく別の人間集団に出会うことだ。相手の数が多く、敵と見なされれば殺される。白川静という漢字研究の大家によれば、「道」という字の最初の点は、途中で出くわした人間を殺して首を槍の先に挿し、魔除けとして進む様を表しているそうだ。だから、人の痕跡の無い未開の地は、そこに水や食料があれば楽園だったに違いない。
縄文以前の日本は鬱蒼と茂る森に覆われていたから、森の中に分け入ることは、リスクを取ってより良い暮らしを求める行為だった。その後もずっと、獣を追う猟師や、器を作る木地師など、自分の腕で自然と対峙する人々の生きる場所だったと思う。しかし最近、日本の森には、リスクを厭い、変化を嫌う、補助金まみれの人々が多く棲みついているようだ。毎年1000人に一人が亡くなるという高い労災率と低待遇で、人手不足だからと外国人の育成就労制度の対象業種に追加する動きもある。
古代人のような鋭敏な感覚を失った代わりに、現代の私達は多くの武器を手にしている。人工衛星による位置情報、レーザ解析で得られる地形図や資源量、建築のデジタル情報、そしてAIは人知を超えた分析や学習能力を発揮する。これらを駆使し、森を再びチャレンジの場所にできないだろうか。
私の中の冒険遺伝子が、私をここに導いたのかもしれない。チェーンソーを扱えないほど弱かったから、別の関わり方を探った。頭が悪いから、無理と言われても簡単に諦めない。冒険遺伝子は弱者の逆転に道を拓く因数だ。そして日本の森は、その積で解かれ、利用されるのを待ち続けているのではないだろうか。
文月ブログ
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