「森林組合が自ら製材所を持てば、原木の売り買いに利益相反が生じる、だから佐伯は必ず失敗する。」工場開設当時、林業・木材業界に詳しいある識者はそう断言したそうです。製材所を持つ森林組合自体は珍しくありませんが、佐伯の投資額の大きさと、製材品販売の難しさを良く知るからこそ、暗い未来を予言されたのでしょう。
実際に、当時の組合内には不協和音が響き、工場が稼働を開始しても、山の生産担当部署は工場で必要な適寸の丸太を市場で売ってしまうなど、一致協力には程遠い状態でした。大型の製材機は膨大な量の原木を必要としますが、機械の性能を最大に引き出せる直径の材は、管内で生産される量では足りず、買い付けが必要です。そして大量の製材品を作っても、どこの誰に売るのかは全く決まっていない、今から思えば混乱と綱渡りの日々だったと思います。今山参事らは組合内を説得して回り、外部から販路開拓のアドバイザーを招いて、厳しい叱咤を浴びながら、泥水の中でもがくように歩を進めてきたのだと思います。
幸い、佐伯には先人達の遺してくれた宝がありました。飫肥杉と言われる種類の中でも、成長が良く通直で、色や木目が近い4種類の苗木を選び、それを植え続けてきたのです。おかげで平均の収穫量は1㏊当たり500~600m3、最大で1000m3になる林分もあるそうです。地籍調査が済み、所有者も区画もはっきりしているので、交渉を進めやすい利点も大きいでしょう。そのような先人の恩、豊かな自然の力、そして組合の人々の挑戦し闘う姿勢が、今の隆盛に繋がったのではないでしょうか。
苗木の生産にも取り組みましたが、何と5年間も失敗が続きました。それでも諦めずに継続した結果、今では年間30万本の供給が可能になっています。直線距離で50キロしか離れていない場所に、日本最大の製材企業が進出してきた時は、飲み込まれてしまうのではという恐怖を糧に、木造大型パネルの生産にも取り組みました。山と工場が縦割りになっていた組織は、同じ流通部の下に素材と加工の部門を統合するよう再編し、それによって山の生産現場は共販と工場の両方に目配りするようになったそうです。
戸高組合長は、どんな時も再造林の旗を掲げ続けました。伐ったら植える、それは当たり前のことだと、地域への責任を果たすことを最優先に、素材生産事業者が伐採した土地も組合が再造林することにしたのです。当初は中々理解が得られない中、山主や事業者への説明会を何度も開き、個別の説得を粘り強く続けたと聞きます。今では、伐採跡地の片づけの仕方が悪いと、組合から山主に連絡が行き、その事業者は次の仕事を取れなくなるため、地拵えが楽になったそうです。これは健全な競争原理が働いているからこそ生み出された好循環と言えるでしょう。そしてこの再造林の実績が、2×4大手事業者との再造林協定、つまり製材品に再造林費用を上乗せして販売するという取り決めにつながり、新工場の建設という新たな挑戦の幕を開けることになりました。
こうして見てくると、佐伯広域森林組合が、組織内の葛藤を乗り越え、地域では競合と協力の均衡点を探り、製材品の販売という厳しいビジネスの世界で生き残るために、いかに不断に闘ってきたかがおわかり頂けるでしょう。それなのに彼らが大らかさ、明るさを失わなかったのは、日々目にする山腹に自分達の仕事の跡が育っていくからではないかと、私は思っています。信じられないという方は、是非佐伯に足を延ばしてみてください。佐伯の山は、あちこちに様々な林齢の若木が育ち、山が管理され、更新されている様子が手に取るようにわかります。それは、山が確実にお金になり、それが子孫にも受け継がれるという安心感、暮らしの土台を作っているという誇りを、働く人々に抱かせる光景なのです。佐伯は決して特別ではなく、闘う意思と努力があれば、他の地域でも必ずできるはず、この風景を日本中に広げるために、私はそれを言い続けたいと思います。
コメント