「機械はむしろ遊ばせています」先日話を聞いた山形県のある森林組合のK氏の言葉に、一瞬耳を疑った。高性能林業機械は一台数千万円もする。できるだけ稼働率を高めようと考えるのが普通だと思っていたからだ。K氏は続けてこう言った。「機械は置いておくだけなら傷みません。人がシームレスに動くために、むしろ機械は余っているくらいでいい。償却期間というのは財務省や国税庁が決めたもので、それに囚われる必要はない。人間がいかに効率的に動けるかを重視しています。」その組合は、金融機関のCSRと町の予算をうまく引き出し、管理区域全体の航空レーザデータを自前で取得していた。それを分析すると、町内に杉が何百万本あるのか、といった具体的な数値がわかる。適切な維持管理をするのに人がどのくらい必要か、投資できる金額は最大どの程度か、という大枠の数字が掴める。林内の込み具合から施業の優先順位を決め、森と人にとっての全体最適を導き出して実行している。「森林列島再生論」で私達が提唱した「森林を上位概念に置く産業」が既に実現されていると感じた。
歴史ある杉の産地で、80年生で年輪の詰まった材が取れるというのは、恵まれた環境と言えるとは思う。K氏は、必要な情報を集め、分析し、積み重ねる、当たり前のことをしているだけだと謙遜するが、その当たり前が簡単でないのが林業の世界だ。
K氏はこの後「木は立っている間は地域資源だが、伐って丸太になった途端、国際流通商品になる。」と言った。売り先には困らなくても、相場に左右される悩みは他地域と共通のようだ。ならばそれを回避するために、製材の先の建築部品製作にまで手を広げ、地域材による「森林直販」に挑戦してはどうかと提案してみた。すぐには難しくても、いつか山側のプレーヤーが中心になって構想を実現する日が来て欲しい。地域で生きる、心強い森の守り手に出会って、ぼやけていた夢の輪郭がくっきり浮かび上がってきた。
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